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    【歴史】広島誕生@「なぜ広い島に城が必要だったか」

    更新 : 2022/2/19 12:44

    皆様こんにちは。
    ホテルリブマックスPREMIUM広島です。

    広い島だったから広島になった。
    その何もない広い島に、新しい拠点(城)が誕生した。
    なぜ・・・
    今日はその辺りに迫ってみましょう。

    広島城の工事が始まったのは、今から433年前の1589年。
    完成には10年の歳月が必要でしたが、2年後の1591年には城の主として「毛利輝元」が入城します。
    当時は豊臣秀吉による天下統一が成された直後。
    実は広島の主となった当時の毛利輝元は、日本で3番目の大勢力でした。

    一番は天下人豊臣秀吉…でなく、なんと徳川家康!秀吉は2番目です。
    徳川の領地は250万石に対し、豊臣の直轄領は200万石でした。
    ただし、新しく大名になった秀吉の家来(いわゆる子飼い)の領地を合わせれば、徳川を凌駕出来ます。
    それに続く3番手が毛利輝元。当時120万石を有する大勢力でした。

    それまでの毛利家は、広島の山間部にある吉田郡山(現:広島県安芸高田市)を拠点にしていました。
    吉田郡山城は規模も大きく、出雲街道(現:国道54号線)近くの交通の要所でした。
    が、何分山の中。
    秀吉に仕えるようになり、度々上方への出府が必要になると、吉田郡山はやはり移動に難が…

    それに、当時広島の交通は、陸よりも海が主役でした。
    山陽道(西国街道)は山側の高所を通っており、アップダウンもあって移動が大変。
    対して瀬戸内海は村上水軍の繁栄もあり、発達していました。
    物流の多くが、瀬戸内海を利用していたのです。
    後日談ですが、関ヶ原の戦いの時、毛利軍は広島→大阪間を、船で2日のスピード移動を実現しています。(豊臣秀吉の中国大返しは、岡山→京都を陸路で13日での移動でした)

    また、山間の吉田郡山にはこれ以上開発の余地が少なく、国内3番目の勢力として益々の発展は望めません。

    これらの事情から、輝元は広島県内をあちこち歩いて、新しい本拠地を探し求めたのです。
    そして目を付けたのが「広い島」=「広島」

    瀬戸内海は目の前。
    当時は島だった江波は、拠点港として機能していました。
    広い土地には、新たな城や町を創るには十分。
    加えて陸の街道も整備すれば、新たな陸海運の拠点が誕生します。
    広島は、強大な勢力になった毛利家の屋台骨を支えるに、十分な可能性を秘めていたのです。

    ただ、やはり広い島に城を造るのは、簡単ではありませんでした。
    続きは、また次回に。

    広島城築城直前の想像図です。
    中州と川を縫うように、小さな道が続いている様子が描かれています。
    これが約400年後に大都会になろうとは・・・

    広島城の築城地を検分する、毛利輝元の様子を描いた想像図です。
    広島の街を見下ろせる、見立山(東区牛田)、旭山(西区己斐)、などを訪れています。

    広島城と吉田郡山城とは、約40キロ離れています。
    混雑していなければ、車で1時間ちょっとです。
    お時間があれば、毛利の本拠地巡りはいかがでしょうか?

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