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    【歴史】広島誕生A「水と地盤との終わりなき闘い」

    更新 : 2022/3/2 22:38

    皆様こんにちは。

    今回は広島誕生の第2部。
    と言う事で、毛利輝元が広島築城を決意してから先のお話です。

    広い島の広島に拠点を移す決意をした、当時日本で3番目の実力者であった毛利輝元。
    ただ、広い島は、簡単には行きませんでした。
    元々頑丈な地盤がなく、太田川から流れた土砂が堆積しただけの、軟弱な地盤。
    その上に荘厳な天守閣を含めた城構造物を作るには、まず地盤強化が必要でした。

    まず取り掛かったのが、、川の中州の埋め立てと堀の浚渫(しゅんせつ)です。
    浚渫とは、港湾・河川・運河などの底面を浚(さら)って土砂などを取り去る土木工事のことです。
    現在ではその作業専用の船もありますが、安土桃山時代は勿論手作業。
    豊富な水量の太田川からの水や、広島湾から流れる水と闘いながら、作業は非常に困難を極めたと伝わります。
    そして広島の地盤は、徐々に固く広くなっていきます。

    広島城から歩く事約15分にある「白神社(しらかみしゃ)」
    本殿は、ゴツゴツとした岩の上に鎮座しています。
    この岩は、かつて海に浮かぶ岩礁で、付近を航行する船に対する印として、白い紙が建てられていました。
    その岩礁も、三角州の発達や広島築城に伴う開拓工事により徐々に地上化し、広島城が出来るころには城と地続きになりました。
    1591年には、毛利輝元により新しい社殿も作られます。

    同年、まだ石垣や天守閣も未完成でしたが、それでも毛利輝元は広島城に移り住みます。
    城づくりは変わらず進められ、1593年に石垣が、そして1599年に全体が落成します。
    実に10年がかりの大工事でした。

    時は少し戻り、毛利輝元が広島に移った翌年の1592年。
    天下人・豊臣秀吉が九州に向う途上、大軍を率いて広島に立ち寄ります。
    この「大軍を率いて」は、是非注目しておいて下さい。
    広島城に入った秀吉は、その立地を見て、こう言いました。

    「こんな所に城を構えるとは、、、水攻めにしたらひとたまりもない」

    と、酷評したのです。
    折角頑張って作ったのに…(TT)

    事実、広島城の築城は、軟弱な地盤と川や海の水との戦いの連続でした。
    そしてその後も広島城と広島の街は、何度も太田川の氾濫に苦しみ続けます。
    しかし、それでも、毛利家だけでなく地域の発展の為にも、広島には城と街が必要でした。

    それは何故かと言いますと…
    またしても文字数の都合で、続きは後日。

    10年もの歳月をかけて誕生した「広島城」
    今では市民の憩いの場として、広島の観光スポットとして定着しています。
    天守閣は博物館となっておりますが、まん延防止等重点措置により休館していました。
    しかし本日、延長はしないとの広島県知事の発表を受け、3/7より再開の見込みです。

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