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【歴史】雁木
更新 : 2022/3/21 11:19
こんにちは♪
写真は、平和記念公園の川辺です。
映っているのは元安川。
元安川の水面まで階段が続いていますが、これは休憩スポットでも、恋人達が愛を語らう場所でもありません。
これは雁木(がんぎ)です。
雁木とは、飛行する雁の群れのようなジグザグに組まれた構造物。
広島市においては、近世以降に水辺に昇降するため川の斜面に造られた階段状の港湾施設および護岸を指します。
雁木の名のとおり、かつては木材で造られていたが、水に浸かるため腐りやすいことから、江戸初期に石材が用いられるようになったと考えられている。
広島を流れる太田川水系では、中世、荘園からの年貢運搬で河川舟運が発達しました。
安土桃山時代、毛利輝元によって広島城が造られ城下町が形成され始めます。
ただ、広島湾は1日平均最大干満差4mと、有明海に次いで干満が大きい場所で、先ず治水対策として、城の周り、京橋川と本川、本川と天満川、本川と元安川の合流部の堤防を9寸から8尺(約0.3mから約2.4m)嵩上げしました。
そして舟からの物資を荷揚げする川岸に、雁木を設けたのです。
広島市には、平和記念公園の他、大小合わせて約300から400箇所もの雁木があると言われています。
そして、写真に写っている橋が「元安橋」。
本通方面から平和記念公園を結ぶこの道こそ、かつての西国街道です。
その街道沿いに設けられた雁木。
これこそ、ここ平和記念公園が、かつて広島で1番の繁華街であり、重要な生活拠点であった事実を伝えてくれています。
今は静寂な雰囲気の公園も、昔は陸と海の物流拠点てして、多くの人々が行き交い、賑やかであったと想像出来ます。
ここを中心に、広島の街は益々拡大していくのです。
平和記念公園の雁木は、もう一つの歴史も教えてくれます。
雁木に隣接する石積の中には、焼け焦げた跡が見られるものもあります。
これは1945年8月6日の原子爆弾投下の際に受けた熱線、あるいはその後の火災によってできた物と推定されていて、被爆遺構にもなっています。
雁木は、広島の全てを見届けてきた証人。
座って水面を眺めていると、人々の営みが見えてくるかも知れません。
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