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【歴史】【広島の玄関】広島港・宇品
更新 : 2022/5/28 16:50
皆様こんにちは。
今日は広島の海の玄関、広島港の誕生秘話と歴史をご紹介します。
広島に巨大な港を作る
明治になると、広島に陸軍師団が置かれます。
広島沿岸は遠浅の為、大型船舶の通行が出来ない現状。物資輸送の観点からも、近代的な港湾整備の必要性に迫られます。
音頭をとったのは、当時の広島県令(今の知事)千田貞暁。
選ばれたのは、当時の広島の外港であった宇品島。
再び広島で干拓が始まります。
1884年9月に起工しますが、災害や潮止め工事の堤防からの漏水による崩壊など苦戦。
また、海軍の増強に伴う大規模工事での人員不足や、それに伴う資材や賃金の上昇に見舞われ、工事は遅々として進まず、工費は膨張の一途をたどります。
それでも千田は、海岸埋立地を宅地として売却、国に対する補助金の申請による2回の国庫からの補助金の投入。更にはや千田の私財をも投入し、1889年11月、5年の歳月と着工時の3倍強の30万円余と言う巨費を費やして、ついに宇品築港は完成。
宇品島とは橋で結ばれ、黄金山から約3キロの広大な干拓が完結しました。
しかし、当の千田は程なく新潟県令に異動となり、広島を去る事に。
選挙で選ばれた知事と違い、県令は政府の役人だったのです。
広島港は、法令上、坂町から廿日市市の広範囲に至ります。
その中心こそが宇品で、その後更に干拓を重ねて今日に至ります。
「広島港宇品旅客ターミナル」からは、江田島、似島、宮島等の島しょ部の他、松山への航路があります。広島市内へも、市内電車とバスでアクセス出来ます。
宇品島は「元宇品」と呼ばれ、陸地とは橋で繋がっています。瀬戸内海国立公園に編入された、自然の宝庫です。グランドプリンスホテルもあります。
西側の出島地区には、国際コンテナターミナルを有し、広島国際フェリーポートがあります。
余談ですが、 STU48の劇場船「STU48号」が広島で公演が実施される際の開催地及び、公演が開催されていない時の停泊港としても使用されていました。
東側の宇品外貿地区 は、主に完成自動車や穀物等を取り扱っている他、不定期の大型旅客船も寄港します。
広島ゆめみなと花火大会が行われる1万トンバースは、広島港宇品外貿埠頭の通称です。
そして宇品は、来年開催の「G7サミット」の会場とし、再び注目を集めています。
宇品の父、千田貞暁の先見の明は、令和の今日でも証明されています。
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