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【歴史】広島のニュータウン
更新 : 2022/6/25 17:52
皆様こんにちは。
広島は安土桃山時代に、毛利輝元によって開かれた街。
その後江戸時代となり、城主(藩主)葉変われど、広島は順調に発展し、幕末には日本で8番目の人口を誇る都市に成長しました。
広島の成長は止まりません。
明治大正、そして昭和初期まで、広島は物資輸送の拠点として、更に発展します。
当然人口もの増え、宇品を中心に河口部分の干拓も必要な状況でした。
広島市の住所で「○○沖町」と、ついている所は、だいたいその頃に干拓で産まれた土地です。
戦後、日本はベビーブームとなり人口が一気に増えます。広島市でも同様でしたが、これ以上干拓すると、広島湾そのものを埋め立てないといけません。
そこで出来たのが、ニュータウンです。
「高陽ニュースタウン」「府中ニュータウン」「矢野ニュータウン」など、広島市とその周辺には、ニュータウンが多数あります。
これらに共通するのは立地で、山の斜面や頂上部分を切り開いて作られました。
他にも似た立地の団地が多数あり、広島市の人口増の受け皿戸なったのです。
ニュータウンには学校、スーパー、コンビニ、銀行の支店が多々設けられ、地域の拠点となりました。広島市中心部のバスセンター等から、ニュータウンを結ぶ路線バスも開設されました。
特に広島市北部の安佐南区では開発が著しく進み、多くのニュータウンや団地が造成。
元々太田川上流の山裾にあった地に、次々と人が集まり、あっと言う間に1つの街が出来上がります。
干拓によって拡大した広島の新たな受け皿となったのです。
路線バスだけでは対応出来ず、アストラムラインという、広島市と郊外を結ぶ新交通システムも開通しました。
安佐南区は、今でも広島市の中で、ぶっちぎりで人口が多い区となっております。
しかし、最近では、中区や南区など、市内中心部に相次いで高層タワーマンションが建設され、広島市では都心回帰への動きがあります。
加えて広島の地盤は軟弱で、一度大雨に見舞われると、たちまち地盤崩壊や土石流災害を受ける弱点があり、近年でも度々被害に見舞われています。
特にニュータウンや団地が設けられたのは、多くが山地の斜面です。
その対策として、広島には多数の「砂防ダム」が設けられ、万が一に備えているのです。
梅雨の末期は、集中豪雨が懸念される季節。
どうか無事な梅雨明けを祈念して止みません。
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