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    【スポット】【歴史】原爆ドーム@「産業奨励館の頃」

    更新 : 2022/7/20 23:07

    皆様こんにちは。
    今日は広島が誇る世界遺産・原爆ドームのご紹介です。
    ほぼ被爆した当時の姿のまま立ち続ける原爆ドームは、戦争の悲惨さを今に伝える生き証人ですが、保存には紆余曲折が多々ありました。

    原爆ドームのもとの建物は、チェコ人の建築家ヤン・レツルの設計により、1915年に「広島県物産陳列館」として、広島の中心地、元安川の畔に完成しました。
    建物はれんが造りの3階建てで、正面中央部分は5階建ての階段室、その上に楕円形のドームが載せられていました。

    物産陳列館は、県内の物産の展示や即売、商工業に関する調査・相談などの業務を行っており、美術展や博覧会などの文化事業の会場としても利用されました。
    その後、広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館(以下、産業奨励館)と改称し、戦争末期の1944年からは内務省中国四国土木出張所、広島県地方木材株式会社など官公庁等の事務所として使用され、多くの方々が利用しました。
    元安川を挟んだ対岸の中島町(現:平和記念公園)は、当時広島で一番の繁華街。
    産業奨励館は、広島の文化と交流の拠点として、大変に賑わっていました。

    しかし

    1945年8月6日午前8時15分。

    広島市街地の中心部の上空約600メートルで、人類史上初の原子爆弾が投下され爆発し、一瞬のうちに広島市街地の建物が倒壊し、多くの人命がうばわれました。
    産業奨励館は爆心地から約160メートルの至近距離で被爆し、爆風と熱線を浴びて大破。
    程なく天井から火を吹いて全焼し、当時この建物の中にいた方々は全員即死しました。

    産業奨励館の2階と3階のほとんどの壁は被爆により崩れ落ちました。
    建物の屋根やドーム部分の多くは木材で作られていた為、真上からの爆風に対して耐力の弱い屋根を中心に潰されましたが、厚く作られていた側面の壁とドームの鉄骨は完全に潰されず、倒壊を免れました。
    ですが、何も無くなった周辺と比べ、鉄骨剥き出しで佇む姿は、とても無残で悲しさが増すものです。
    以前の産業奨励館の賑わいを知る広島市民なら、尚更でしょう。

    戦後、産業奨励館の残骸は、頂上の円盤鉄骨の形から、いつしか市民から

    原爆ドーム

    と呼ばれるようになりました。

    焼け野原にポツンと佇む原爆ドーム。
    保存か取り壊しか、戦後広島市民を二分する大論争となります。

    文字数の制約につき、続きは次回の記事で!

    被爆後の写真です。旧広島市民球場跡地から南側を見ています。
    グランドゼロ(爆心地)は原爆ドームのやや左側。
    上空600メートルで炸裂した原爆の威力は凄まじく、周辺の街並みを一瞬で吹き飛ばしました。
    ポツンと残った原爆ドームので姿が悲しいです。

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