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【人物】原爆ドームA「世界遺産を生んだ女子高生」
更新 : 2022/10/3 3:20
皆様こんにちは。
前回記事の続きです。
被爆した産業奨励館は、無残な姿で原爆ドームとして残りました。
取り壊しか、保存か
大論争は拮抗し、結論が出ないまま時が流れていきます。
やがて、原爆ドームの周辺壁には雑草が生い茂り、建物の壁に亀裂が走るなどの傷みが進行し、小規模な崩壊や落下が続き、大変危険な状態でした。
楮山(カジヤマ)ヒロ子さん
1歳の時に、爆心地から約1.6キロ離れた平塚町(現:中区)で被爆されました。
以降すくすくと成長されておられましたが、1960年4月5日、急性リンパ性白血病で亡くなられました。
青春真っ只中の、1人の女子高生の命が失われたのです。
ヒロ子さんは、亡くなる前年の8月6日に、日記でこう綴っています。
「あの痛々しい産業奨励館(原爆ドーム)だけが、いつまでも、恐るべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろう...」
理不尽に人生を奪われる悲しさ、悔しさ、そして語り継ぎたい思いが、この1文だけで伝わります。
ヒロ子さんの言葉に心を打たれた多くの人々の支持で、原爆ドームは保存へと、一気に機運が高まります。
1966年7月、ついに広島市議会が原爆ドームの保存を要望を決議しました。
しかし、痛んだ原爆ドームの保存は容易ではありませんでした。
広島市が策定した保存工事の柱は以下の通りです。
・被爆した当時の姿を保持する。
・現状をできるだけ変えない。
1967年、いよいよ保存工事が始まります。
・多数のひび割れや空洞に、接着剤を注入して固定。
・不安定な壁を、元の位置に戻す。
・補強の鉄骨を設置して、壁を下支え。
しかし、20年後の調査で再び劣化が確認され、1989年に2回目の保存工事を行いました。
その後も調査と工事を繰り返し、防水や耐震化工事、色直し等を行い、今日まで計5回の保存工事が行われています。
原爆ドームでは、保存状態維持の為に原則3年毎に「健全度調査」と言う劣化調査が行われます。
広島市関係者の皆様の、弛まない努力には感謝しかありません。
そして1996年12月
メキシコで開催の世界遺産委員会において、原爆ドームの世界遺産登録が決定しました。
恒久平和を願う人類共通のシンボルとして、世界に認められたのです。
産業奨励館から、原爆ドームヘ
ヒロ子さんの心の叫びは、永遠に私達世界中の人々の心を掴んで離しません。
こちらは、2020年9月から2021年3月にかけて行われた、第5回保存工事の様子です。
傷んだ箇所の補修の他、ドームの鉄骨部分を被爆当時の色に塗り直しも行われました。
また暫くすると、調査結果を受けて、保存工事が必要な場合は、写真のような光景に。
こうして、世界遺産・原爆ドームは、永久に語り継がれていきます。
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