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【スポット】【歴史】大久野島@ ここは「○○○○」
更新 : 2022/10/12 22:56
皆様こんにちは。
今日は大久野島に来ています。
大久野島は、面積0.7キロu。外周4キロ程の小さな島で、徒歩でも十分日帰り散策が出来ます。
広島県竹原市に属し、最寄りの忠海から約3キロの海上にあります。
広島からは、高速バス「かぐや姫」号で忠海駅前で下車。フェリーに乗り換え、約2時間半です。
なお、本数は少ないものの、三原駅まで新幹線こだまを使えば所要時間は短縮出来ます。
1881年の時点で戸数4戸、住民26人の小さな島の運命が変わったのは、日清戦争の頃から。
まず灯台が建てられ、その後陸軍により砲台が設けられます。
島の要塞化は、他の瀬戸内の島々でもされてますが、大久野島にはもっと大変なものが作られてしまうのです。
毒ガス工場です。
1929年から1945年までの約15年間、戦場で使用する毒ガス兵器スが秘密裏に製造されました。
島内の住民は、毒ガス製造が始まると強制退去となりました。
それだけではありません。
大久野島は場所を秘匿するために、なんと地図から消され、存在そのものが消されてしまったのです。。
大久野島製の毒ガスは、戦場の兵士や住民を大変苦しめました。
戦場での毒ガスの使用は、国際法違反です。
一方工員達も、多くは終戦後も健康被害に苦しみます。
完全防護服で作業に臨んでも防げないガスの毒性。
誰も得してません。
終戦後、大久野島は進駐軍が接収し、海洋投棄、埋設、焼夷剤で焼却などの無毒化処理が施されます。
広島県内には、戦艦大和を生んだ呉、陸軍の拠点だった広島など、多くの戦争の名残がありました。
私共のある二葉の里も、昔は陸軍の練兵場でした。
原爆ドームを除き、遺構の多くは再開発で姿を消すか、一部のみ保存される形になりますが、大久野島は違います。
残された建物は手つかずのまま、長い年月を経て、草や蔦で建物が覆われていきます。
こ、これは...
「ラピュタ」
今にもロボット兵が出てきそうな雰囲気が、大久野島には多く残っています。
そして「天空の城ラピュタ」からのメッセージが、胸を掠めます。
「人は土から離れては生きられない」との根本を忘れ、強欲に突き進んで滅んだラピュタ。
かつての日本軍と重なるように見えるのは、私だけでしょうか。
時を感じるのどかさと哀愁の中で、大久野島は新たなマスコットで、再び注目を集めています。
その続きは次回で!
大久野島には、今でも毒ガス工場時代の遺構が、そのままの形で残されています。
この建物、まさに今すぐにでもロボット兵が出てきそうだと思いませんか?
大久野島には、このような遺構が島の至る所に残っているのです。
なお、周辺は無毒化処理が施されていますので、どうぞご安心ください。
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