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    【人物】「跳べ千羽鶴」 〜折り鶴と広島を繋ぐ少女〜

    更新 : 2022/10/3 3:21

    皆様こんにちは

    先日24日、広島市で折り鶴を1本の紐で繋げて、長さ世界一に挑戦するイベントが行われました。
    そして約15キロがギネス世界記録に認定されました。
    日本赤十字社広島県支部などが呼びかけ、県内の保育園や小中高校で1〜8月に折られた約120万羽の中から選別された、57万9658羽が使われました。

    折り鶴はポピュラーな折り紙の折り方として江戸時代から知られています。
    折り鶴を1000羽作り、糸で束ねたものを「千羽鶴」といい、幸福祈願、災害慰安、病気快癒・長寿などの願いをこめて、寺社に贈ったり、被災者や入院患者へ贈ったりする習慣があります。

    広島では、千羽鶴を世界平和の象徴としてとらえら、今でも平和記念公園を訪れた方々から多数の千羽鶴が送られ、原爆の子の像に供えられています。
    また広島平和記念資料館には、2016年に同地を訪問したアメリカのバラク・オバマ大統領が、自ら折って持参した折り鶴がメッセージとともに展示されています。

    広島=千羽鶴
    1人の少女が関わっていました。

    佐々木禎子さん

    爆心地から約1.6km離れた楠木町(広島市西区)の自宅で、2歳の時に被爆します。
    約10年後、突如体調不良に見舞われ、診断の結果「亜急性リンパ腺白血病」と判明。医師より長くても1年は持たないと、残酷な現実を突きつけられます。

    広島赤十字病院(現在の広島赤十字・原爆病院)に入院した禎子さん。
    お見舞いとして折り鶴が送られたのをきっかけに、自分でも鶴を折り始めます。多くの入院患者も協力してくれました。
    千羽鶴を折れば元気になる。そう信じて鶴を折り続け、3ヶ月後には1000羽を超えていました。
    しかし願いは届かず、禎子さんは1955年10月25日に亡くなります。享年12歳。

    禎子さんのエピソードや、千羽鶴・折り鶴は、カルル・ブルックナーの「Sadako will leben(サダコは生きる)」や、エレノア・コアの「Sadako and the Thousand Paper Cranes(サダコと千羽鶴)」によって、広く世界に知れ渡る事になります。
    今も多くの方々が千羽鶴をお供えする「原爆の子の像」
    そのモデルこそ、佐々木禎子さんです。

    ギネス認定された折り鶴は、再生紙化してノートにし、文房具が不足するネパールに届けるそうです。
    禎子さんの生きたいという思いと共に、千羽鶴は今日も人々の幸せへの願いを乗せて、空高く跳んで行きます。

    原爆の子の像を取り囲むように、世界各地で折られた千羽鶴が囲みます。
    恒久平和を願う思いは、万国共通です。

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