京都市電が走っていた街 〜昭和51年と今の百万遍〜
更新 : 2020/2/5 17:25
東大路通は、南北の通り名と東西の通り名との合成名称が少なかったように思います。ここは東山通と今出川通の交差点ですが、東北にある浄土宗の智恩寺を“百萬遍さん”と呼んでいることが交差点名となりました。
私は、ここから三つ北の田中大久保町に住んでいたことがあり、知恩寺境内の百萬遍保育園に通っていました。その頃母親に、右側の木々の茂みの京都大学を指差し、「大きくなったらあそこに行くねん」と言っていたそうです。“行く”と言っただけで“入学する”とは言っていないのでウソはついていないと思いますが‥。
昭和51年3月28日撮影
44年後の令和2年に撮影したのが2枚目の画像です。学生相手の店は多くありますが、
業態は変化してきているようです。又、京都大学の象徴だった立看板もなくなりました。
敬老70きっぷ
令和2年2月3日撮影
関連する周辺観光情報