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    ■三軒茶屋の由来■

    更新 : 2009/12/19 5:04

    今更という気もしますが… 

    三軒茶屋には昔、その名前どおり三軒の茶屋がありました。江戸時代の中ごろから丹沢の大山阿夫利神社へお参りに行く人が増え、静かな田園の道(矢倉沢往還)は大山道としてにぎわうようになります。やがて近道(今の玉川通り・国道246)がつくられ、分岐点に三軒の茶屋「しがらき(後の石橋屋)」「角屋」「田中屋」ができ、大山詣や多摩川行楽の人々の休み処として、いつか三軒茶屋と呼ばれるようになりました。
    どの店も座敷にお膳をととのえ、接待の娘たちもいる立派な構えの料理茶屋(料亭)でしたが、店の前に床几(縁台)を並べ、よしずを立てて道行く人々に茶菓も出したようです。まわりには髪結床や煙草屋などもあったとか。石橋屋には、幕末の志士・坂本龍馬の写真が残されており、彼や高杉晋作も三軒茶屋で遊んだのではと想像されます。ほかに、将軍徳川家慶、画家渡辺華山、蘭学者高野長英、明治期にはウサギ狩りの前後に休憩された明治天皇、そして大将乃木希典や作家徳富蘇峰なども茶屋を訪れています。
    明治の中ごろから大正時代にかけては、軍の施設が次々に世田谷に移転し、商店や住宅の数がどんどん増えて、シャボン屋、立飲みのできる居酒屋、駄菓子屋、魚屋なども軒を構えました。明治40年(1907年)には玉川電車が渋谷ー二子玉川間に開通。大正12年(1923年)の関東大震災の後は、さらに都心から多くの人が移り住み、2年後に玉川電車が三軒茶屋から下高井戸まで延長。三軒茶屋駅かいわいは寄席や市場、映画館もある華やかな街となりました。
    三軒の茶屋は、明治時代にまず角屋が店をたたみ、田中屋は火災で消失。石橋屋は石橋楼という名の料亭旅館に変わり、震災後は舶来のおもちゃも売る喫茶店、次いで洋食喫茶・宴会場を営業し、戦災で店をたたんだそうです。

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