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宿番号:324814

渓谷に広がる「西日本最大級の源泉かけ流し露天風呂」が自慢の宿

奥道後温泉
松山ICから国道33・11号線経由で、317号線を今治方面へ30分。JR松山駅からバスで40分。

奥道後 壱湯の守のお知らせ・ブログ

宿泊施設ブログ

  • 四国八十八ヶ所をご紹介「第43番札所 明石寺」

    更新 : 2022/1/11 18:00

    不定期でご紹介している四国八十八ヶ所霊場ですが
    今回は愛媛県の4つめ41番札所をご紹介致します。

    ■第43番札所 源光山 円手院 明石寺
    (げんこうざん えんじゅいん めいせきじ)

    明石寺がある西予市宇和町には、愛媛県歴史文化博物館をはじめ、
    宇和文化の里の開明学校、申議堂のほか、高野長英の隠れ家、
    多くの古墳など古代の遺跡が残されている歴史と文化の町です。

    明石寺の縁起
    まず、この地は乙女に化身した千手観音菩薩がこもった霊地とされ、
    古来尊崇されてきました。6世紀の前半、欽明天皇の勅願により、
    円手院正澄という行者が唐からの渡来仏であった千手観音菩薩像を
    祀るため、この地に七堂伽藍を建立して開創したのが起源とされています。
    のち、天平6年(734)に寿元という行者(役行者小角から5代目)が
    紀州熊野から12社権現を勧請し、12坊を建てて
    修験道の中心道場として法灯を伝承しました。

    弘仁13年(822)には弘法大師がこの地を訪ね
    荒廃した伽藍を見た大師は、嵯峨天皇に奏上して勅命を受け、
    金紙金泥の『法華経』を納めて、諸堂を再興しました。
    その後、鎌倉時代になってから再び荒れ果てた伽藍の
    修復に当たったのは、源頼朝です。
    建久5年(1194)、頼朝は命の恩人である池禅尼の菩提を
    弔って阿弥陀如来像を奉納、また経塚をきずき、
    山号の現光山を「源光山」に改めました。
    以来、武士の帰依があつく、室町時代には領主・西園寺家の祈願所として、
    また江戸時代には宇和島藩主・伊達家の祈願所となり、
    末寺は70余寺を数えたと伝えられています。


    明石寺の見どころ
    神仏習合・本堂・しあわせ観音像(客殿の裏にあり、身の丈2m余、
    長い袂着物姿で、左手に水瓶をもつ慈悲深いお顔の観音さま。)


    〒797-0007 愛媛県西予市宇和町明石205
    電話:0894-62-0032
    駐車場:あり(無料)※大型バス/中型バス1000円・マイクロバス500円

     

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