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宿番号:324814

渓谷に広がる「西日本最大級の源泉かけ流し露天風呂」が自慢の宿

奥道後温泉
松山ICから国道33・11号線経由で、317号線を今治方面へ30分。JR松山駅からバスで40分。

奥道後 壱湯の守のお知らせ・ブログ

宿泊施設ブログ

  • 四国八十八ヶ所をご紹介「第44番札所 大寶寺」

    更新 : 2022/1/25 17:45

    不定期でご紹介している四国八十八ヶ所霊場ですが
    今回は愛媛県の5つめ44番札所をご紹介致します。

    ■第44番札所 菅生山 大覚院 大寶寺(すごうざん だいかくいん だいほうじ)

    43番明石寺からの道のりは約80q、峠越えの難所がつづき、
    歩けば20時間を超す「遍路ころがし」の霊場。
    四国霊場八十八ヶ所のちょうど半分に当たり、「中札所」といわれています。
    四国山地に囲まれた標高579mに位置し、境内は老樹が林立し、
    幽寂な空気が漂っています。

    縁起は大和朝廷の時代。
    百済から来朝した聖僧が、携えてきた十一面観音像を
    この山中に安置していました。
    飛鳥時代になって大宝元年のこと、安芸(広島)からきた明神右京、
    隼人という兄弟の狩人が、菅草のなかにあった十一面観音像を見つけ、
    草庵を結んでこの尊像を祀りました。ときの文武天皇はこの奏上を聞き、
    さっそく勅命を出して寺院を建立、元号にちなんで「大寶寺」と号し、
    創建されました。弘法大師がこの地を訪れたのは、
    およそ120年後で弘仁13年(822)、密教を修法されて、
    四国霊場の中札所と定められ、
    これを機に天台宗だった宗派を真言宗に改めたそうです。

    仁平2年(1152)、全山を焼失。直後の保元年間(1156〜59)に
    後白河天皇が病気平癒を祈願して成就され、伽藍を再建し、
    勅使を遣わして妹宮を住職に任じて勅願寺としました。
    本堂は、青い銅板葺き屋根が美しく明治時代の焼失の後、
    大正時代に再建されました。鐘楼は2つありますが、石段を上って
    右側にある鐘が古いもの。左側の鐘は「平和の鐘」と呼ばれており、
    これは第2次世界大戦で亡くなった地元の英霊を供養するために
    建てられたものです。
    境内の片隅には漂泊の俳人・種田山頭火の句碑があり。
    「朝まいりはわたくし 一人の銀杏ちりしく 山頭火」
    の文字が刻まれています。

    大寶寺の見どころ
    久万山農民一揆・陵権現・芭蕉塚(芭蕉33回忌の法要を営んだ際に建立されたもの。)

    所在地:〒791-1205 愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生2-1173
    電話:0892-21-0044

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