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奥道後 壱湯の守のお知らせ・ブログ
【勝田銀次郎と陽明丸の大航海パネル展】開催中
更新 : 2022/8/30 15:51
松山の偉人勝田銀次郎と陽明丸の大航海パネル展を
本館4階ロビーにて開催しております。
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第一次世界大戦末期の1917年にロシアで起こった「10月革命」の影響で、
婦人(87人)・子ども(779人)の難民のほか約900人が行き場を失い、
アメリカ赤十字社の保護のもとシベリアで2年以上留めおかれており
大戦後、この人々の送還が国際問題になったが、どの国も引き受けない
という状況だった。
そんな中、松山出身の勝田銀次郎氏が輸送業務を買って出て、
自社の貨物船「陽明丸」を多くの子どもたちが寝泊まりできるように
客船仕様に改装。アメリカ赤十字社の傭船として煙突に赤十字のマークを施し、
1920年7月、ウラジオストックで難民を乗せ、地球を右回りし、
サンフランシスコ、パナマ運河、ニューヨークを経てフィンランド・
ヘルシンキまでの約3か月に及ぶ航海の末、送り届けた。
そして難民たちは無事、故郷のペトログラード(現・サンクトペテルブルグ)に
たどり着いたという。
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この3ヶ月に及ぶ大航海に関するパネル展を行っております。
入場は無料となっておりますので、松山ゆかりの偉人にご興味のある方は、
是非足をお運びくださいませ。
■期間/〜2022年9月30日(金)
■場所/4階ロビー
【勝田銀次郎】
1873年10月1日、愛媛県松山市に生まれ、松山中学校卒業後、
新天地、北海道を目指す汽車の中で、隣り合わせた本多庸一氏に
東京英和学校への紹介状をもらいその足で東京に向かう。
1891年〜1894年、青山学院と改称する直前の東京英和学校に学んだ。
※本多庸一氏は、当時、東京英和学校校長を務め、後に青山学院第2代院長となる。
東京英和学校の予備学部課程を終え、高等普通学部で学んでいた時、
日清戦争が勃発。彼は中途退学し新聞記者となる。
その後、神戸において貿易・海運業に身を投じ、27歳で貿易海運会社
「勝田商会」(のち「勝田汽船」)を興し、1914年の第一次世界大戦の
船舶需要により会社は興隆し、実業界の大立者にのし上がる。
その後政界に転じ、神戸市議会議員、同議長、勅選貴族院議員、
衆議院議員、神戸市長と務めた。
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