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宿番号:324814

渓谷に広がる「西日本最大級の源泉かけ流し露天風呂」が自慢の宿

奥道後温泉
松山ICから国道33・11号線経由で、317号線を今治方面へ30分。JR松山駅からバスで40分。

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  • 【勝田銀次郎と陽明丸の大航海パネル展】開催中

    更新 : 2022/8/30 15:51

    松山の偉人勝田銀次郎と陽明丸の大航海パネル展を
    本館4階ロビーにて開催しております。

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    第一次世界大戦末期の1917年にロシアで起こった「10月革命」の影響で、
    婦人(87人)・子ども(779人)の難民のほか約900人が行き場を失い、
    アメリカ赤十字社の保護のもとシベリアで2年以上留めおかれており
    大戦後、この人々の送還が国際問題になったが、どの国も引き受けない
    という状況だった。
    そんな中、松山出身の勝田銀次郎氏が輸送業務を買って出て、
    自社の貨物船「陽明丸」を多くの子どもたちが寝泊まりできるように
    客船仕様に改装。アメリカ赤十字社の傭船として煙突に赤十字のマークを施し、
    1920年7月、ウラジオストックで難民を乗せ、地球を右回りし、
    サンフランシスコ、パナマ運河、ニューヨークを経てフィンランド・
    ヘルシンキまでの約3か月に及ぶ航海の末、送り届けた。
    そして難民たちは無事、故郷のペトログラード(現・サンクトペテルブルグ)に
    たどり着いたという。
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    この3ヶ月に及ぶ大航海に関するパネル展を行っております。
    入場は無料となっておりますので、松山ゆかりの偉人にご興味のある方は、
    是非足をお運びくださいませ。

    ■期間/〜2022年9月30日(金)
    ■場所/4階ロビー
     
    【勝田銀次郎】
    1873年10月1日、愛媛県松山市に生まれ、松山中学校卒業後、
    新天地、北海道を目指す汽車の中で、隣り合わせた本多庸一氏に
    東京英和学校への紹介状をもらいその足で東京に向かう。
    1891年〜1894年、青山学院と改称する直前の東京英和学校に学んだ。

    ※本多庸一氏は、当時、東京英和学校校長を務め、後に青山学院第2代院長となる。

    東京英和学校の予備学部課程を終え、高等普通学部で学んでいた時、
    日清戦争が勃発。彼は中途退学し新聞記者となる。
    その後、神戸において貿易・海運業に身を投じ、27歳で貿易海運会社
    「勝田商会」(のち「勝田汽船」)を興し、1914年の第一次世界大戦の
    船舶需要により会社は興隆し、実業界の大立者にのし上がる。
    その後政界に転じ、神戸市議会議員、同議長、勅選貴族院議員、
    衆議院議員、神戸市長と務めた。

     

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