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愛媛の生んだ軍神・関行男。
更新 : 2012/9/14 13:45
皆様は、愛媛県に生まれ、最初の神風特別攻撃隊である敷島隊を隊長として指揮し、
特攻戦死者第1号として特攻していった、
軍神となった軍人がいることを知っているでしょうか?
その軍人の名は、関行男。
関行男は今、伊予三島の地で眠っており、
その墓は村松大師堂の墓地に建立されております。
しかしその墓ができたのは関の死から、かなり後のことであり、
しかもそれは、関の母が亡くなった後の時でした。
どうしてこんなに遅かったのでしょうか。
関の戦死後、この史上最初の神風特攻は
豊田連合艦隊司令長官によって全軍に布告され、
関は大尉から中佐へと二階級特進の栄誉を与えられました。
関の故郷である愛媛県西条市はこの壮挙に沸きかえりました。
そして実家の門前には、「軍神 関行男 海軍大尉之家」
と書かれており沢山の多くの訪問者が訪れました。
これに対応するのに関の母・サカエは忙しくも息子を誇りに思っていました。
ところが、終戦後に大きく変わってしまいます。
一人残ったサカエは
戦時中こそ「軍神の母」ともてはやされましたが、
敗戦後は世相の中では仇となり、誰1人顧みる者もなく、
世間の冷たい視線を受け、日々の生活にも困窮していきました。
それでもサカエは、一部の人間から石を投げつけられたりしながらも、
草餅の行商をしましたが、うまくはいかず
ある人の世話で小学校の用務員になりました。
その後、サカエは病に倒れ、昭和28年秋、関の母サカエは寂しく、この世を去りました。そして、このサカエの死によって、関家は断絶してしまったのです。
サカエの没後、「せめて行男の墓を・・・・・」との遺言によって、
翌29年10月25日の命日に、伊予三島市(現・四国中央市)の村松大師堂に
ようやく関行男の墓がつくられました。
そして、昭和50年3月には関の慰霊と平和祈願のため、
西条市の楢本神社に、「関行男慰霊之碑」が建立されたのです。
何故、祖国のために散華した軍神へ墓を作らせなかったことには憤りを感じております。けれども、関行男の魂は今でも、後世にも受け継がれているのです。
10月1日、伊予三島の地に
『ホテルリブマックス伊予三島』がオープン致します。
関行男の足跡を巡りに、遠方から愛媛にお越しの際は、
是非、ホテルリブマックス伊予三島のご利用、如何でしょうか。
心よりお待ちしております。
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