宿・ホテル予約 > 神奈川県 > 湯河原・真鶴・小田原 > 湯河原・真鶴 > 旅館 魚判のブログ詳細

宿番号:327815

夕食4.6★8室だけの小さな料理宿 きめ細かいサービスも自慢

湯河原温泉
小田原厚木道路・石橋ICより湯河原方面へ約20キロ。『湯河原中学校前』を右折し道なりに4キロ。

旅館 魚判のお知らせ・ブログ

宿泊施設ブログ

  • 施設のおすすめ

    2.26事件は、東京だけではなく、湯河原の地にも・・・

    更新 : 2014/2/17 9:24

    2.26は、光風荘の特別観覧日

    1936年(昭和11年)2月26日珍しい大雪の早朝、国家改造(昭和維新)を目指す陸軍の一部青年将校らは1400人余の部下将兵を率いて、首都の中心部を占拠し、軍・政府高官の官邸、私邸を襲うという、日本近代史上未曾有のクーデター未遂事件 2・26事件 を起こした。
    この事件で斎藤内大臣・高橋蔵相・渡辺教育総監や護衛の警察官らが犠牲になったほか、多数が負傷した。

    この事件で、東京以外の唯一の現場となったのが、ここ湯河原の 光風荘 である。
    老舗旅館伊藤屋の元別館 光風荘 には、前内大臣の牧野伸顕伯爵が静養のため家族、使用人とともに滞在していた。
    天皇側近として国政の中枢にあり、リベラルな考え方で政・官・財界に影響力を持っていた牧野伯爵は、急進的な青年将校たちに天皇の判断を誤らせる 君側の奸(天皇を取り巻く悪者) と見なされ、襲撃の対象となった。

    2月26日早朝、東京から雪の湯河原に着いた河野壽大尉以下8名の別働隊は、 光風荘 を急襲。
    当直の護衛官・皆川義孝巡査と銃撃戦のあと同荘を放火炎上させたが、目指す牧野伯爵は地元消防団員らの活躍で脱出に成功。
    この事件で護衛の皆川巡査は死亡。河野大尉も部下の下士官とともに重傷を負ったほか、伯爵づきの看護婦や地元消防団員も銃弾や消火作業で負傷した。

    事件後、河野大尉は、収容先の熱海の陸軍衛戍病院(分院)で、差入れの果物ナイフで自決した。

宿泊のご予約はこちらから

料金・宿泊プラン一覧

お電話でご予約される場合は、宿泊プランをお選びください。