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星野リゾート 界 アンジンのお知らせ・ブログ
“別世界”に出るための船
更新 : 2021/5/13 16:05
先日、船に乗る機会がありました。
界アンジンから海を見ることはあっても、逆に海上から見ることはなかなかなく、とても貴重な経験でした。
私は、400年前に伊東にやってきた三浦按針も同じように海上から伊東を眺めたのだろうかと想像しました。
さて、かつてこの地で按針は、「日本初の西洋式帆船」を建造しました。
しかし私が初めてこの話を聞いた時には、率直にこう思いました。
「それってすごいことなの?」
それから数年、按針や船の歴史について多少なりとも学んだ私は、この造船が「日本の外洋航海を可能にする」という大きな意義を持っていたことを知っています。
ですが、かつて私もそうであったように、そもそも「西洋式帆船」という言葉に馴染みのないお客様に、400年も前のこの事業について説明する場面では、なかなか“リアリティ”まで伝えきれず歯がゆく思うことがあります。
そこで今回は、按針の造った西洋船を「当時の一般の人の目から“空想”してみる」ことで、少しでもこの造船を身近に感じていただきたいと思います。
技術の発達により、私たちは今でこそ気軽に海外にアクセスすることができます。しかし江戸初期の日本人は外洋に出ることもままならず、陸地の移動はもっぱら徒歩、通信手段は手紙しかありませんでした。
少し調べると、「江戸時代の飛脚(配達人)が江戸〜京都間約500kmをわずか三〜四日で走った」という記録には驚きますが、一方で現代の航空機では「三日足らずで世界一周した」記録もあります。
もちろん一概には比較できませんが、このような“スケール感”から考えると、
「当時の日本人にとっての日本全体」は、「今の私たちにとっての地球全体」よりさらに“広大であった”かもしれません。
そして「海外」など、「自分たちの生活から遥か遠く離れた、全くの別世界」に感じていたことでしょう。
そんな彼らの住む伊東にある日、“別世界”に出るための船を造りに三浦按針がやって来ます。
「家康様の船を造りに、江戸から西洋人が来るらしい」
「え、伊東で。ほんとかよ」
「西洋船だって。しかも船大工をこっちで募集するってさ」
「西洋船って、ほんとに造れるのかよ。何かドキドキしてきたな」
当時の住民がこんな会話をしたかはもちろんわかりませんが、物語を知り、角度を変えて眺めてみると、同じ景色でも全く違うものに見えてくるから不思議です。
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