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名鉄グランドホテルのお知らせ・ブログ
瀬戸物のはなし(地質の話から)
更新 : 2021/9/16 2:50
時々、お客様から瀬戸物についてもご質問をお受けすることがございます。今日はこの場を借りて瀬戸物についてお話したいと思います。
まず初めに、なぜこの愛知県が焼き物の産地となったのかについてご紹介したいと思います。時はさかのぼり今から650万年前までに遡ります。日本一の湖と言えば琵琶湖ですが、かつてこの濃尾平野にはその6倍もの大きさのある湖が存在したのだそうです。瀬戸物に使われる原料の粘土もその湖の置き土産なのだそうです。その湖は東海湖という湖で今から約650万年前(中新世紀末期)現在の知多半島の周辺から沈降が始まって次第に広がっていき伊勢湾の辺りを中心に知多半島南部、岡崎市、瀬戸市、小牧市まで、西は鈴鹿山脈まで達したそうですが太平洋とは離れていたそうです。この湖のできる前、最初は陶土層が植物遺体を含みながら堆積したものが焼き物の原料の粘土になっているそうです。南の方ほど堆積物の粒子が小さいので、北、または北東から河川が流れ込んだと考えられ湖沼性の堆積物は濃尾平野では100メートルを超える厚さにもなったそうです。またメタセコイヤ、オオミツバマツなどの植物があったことから当時のこのあたりの気候は暖帯から亜熱帯だったと考えられます。ゾウもいたそうです。その後、亜炭層が堆積するようになりこれはのちに尾張亜炭田となりました。300万年ころになると湖は北から北西に移動していき大きさも次第に小さくなっていき、やがて古木曽川から古生層の礫(れき)運び込まれ現在の愛知県設楽町の方面からも火山礫運ばれてきました。そして120万年前には砂礫層が広い範囲で堆積するようになり、氾濫原となってしまった東海湖はとうとう消滅してしまったそうです。という事でこの東海湖は消滅してしまいましたがこの東海湖があったおかげで現在の瀬戸市のあたりで粘土がとれるようになりました。ちなみに私の出身地は瀬戸市のお隣の長久手市ですが先日、近くの公園を散歩していましたら飛鳥時代に当時としては日本でも有数の大きさを誇る登り窯があったという看板をみつけました。飛鳥時代には現在の長久手市のあたりに「ほとぎの里」と呼ばれた一大生産地があったそうで飛鳥でもこの「ほとぎの里」と表目に書かれた器が発掘されています。話は瀬戸に戻りますが勿論、瀬戸市周辺でも盛んに焼き物が生産されその後の釉薬をかけた焼き物造りへと変遷していく事になります。