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猪苗代湖北岸のヨシで作った『いのしし君』
更新 : 2018/1/31 9:08
『神獣やまくじら』を100年ぶりに復元した山車
明治21年(1888年)7月15日、磐梯山が大噴火。
爆発による余震が長い間続き、噴き上げられた火山灰で、太陽の光さえ見る事も出来なかったことから「まるで山くじら(大猪)が暴れているようだ」と感じたことから、村民たちは、山くじら(大猪)の山車を造り、磐梯山の怒りを鎮めようと一心に祈願したと伝えられています。
今現在猪苗代湖の志田浜には、「神獣やまくじら」を100年ぶりに復元した山車が奉納され、年に一度、山の神への感謝と作物の豊作を祈願する祭りを催しています。
猪苗代の由来
昔々のことだ。
猪苗代ていう所は、今みてぐ、田圃なんかなくて、芦だの葦(よし)だのそんなものしか生えて無え、あたり一面湿地だった。
畑だといったって、猫の額ほどの畑があっただけだ。
そんなとこに長瀬川があった。
その川はな、暴れ川って呼ばっちな。
なんでかというと、雨、ちいっと降ると溢れて、洪水になっちまう。
それはひどかった ツ〜話だ。
そんな所なので、少し雨が降ると、村人は、「あ〜あ、今日も雨か。困ったな。
ちいと雨、降ると、皆流れちまうべし。
食うものもねえし、困ったなあ」これをみて、大山祇命[おおやまずみのみこと]の神様は、「人々は大変困っている。
何とか助けなければなんねえ。
どうしたらよかんべ〜」と、思案していた。
すると、神様の前をドンドン、ドンドン走り回るものがいた。
よおく見たら、猪でないか!
「おめえ、何やってんだア!」と、神様が声をかけると、「おれは、走り回るのが仕事だからなんし〜」と、そんなことを言った。
「じゃあ、ここの人達の役に立つことをやってくんねかな?」と、猪に頼んだ。
猪は、「ああ、いいべし」そう言うと、パアッと向こうに走って行った。
仲間を呼び集めると、泥田をピッチャピッチャ、ピッチャピッチャと走り回って、耕した。
荒地に田圃が出来た。
それからは、米が作れるようになって、豊かに暮らすことが出来るようになった。
神様は、「こんな善いことしてくっちゃ、ちいっと猪に、褒美くれないとな」そう思われた。
猪が作った田圃だから、いつまでも名前が残るように、猪苗代という名前、つけたんだという話だ。
ざーっとむかし、さかえもうした
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