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登別カルルス温泉 湯元オロフレ荘のお知らせ・ブログ
カルルス温泉の発展期の「お話」
更新 : 2015/9/7 23:19
皆様にカルルス温泉の歴史について少しお話いたします。
◆◆◆ 開湯116年 カルルス温泉の歴史 ◆◆◆
明治32年、カルルス温泉の開湯後5年後に日露戦争が勃発し、ロシアから戦傷者がカルルス温泉や登別温泉に治療療養に多数訪れていました。
日露戦争後、日野久橘は洗心館(現在の当館玄関前の建物)を建設、明治42年には湯治で常連客であった岩井仁太が岩井旅館(現ホテル岩井の前身)を建設。これでカルルス温泉の宿泊施設も3軒になり、開湯当初は、僅か年間151名の湯治客しか訪れなかったカルルス温泉も徐々に賑わいをみせ始めていました。
その後、大正7年に電話、大正10年に電気を架設し、飛躍的に観光温泉地として発展。
ただ、当時としては驚異的な発展を遂げていたカルルス温泉も「交通の便」は今一歩の状態であり、更なるカルルス温泉発展のために日野久橘は、私費でカルルス⇔登別温泉の馬車道を拡張整備、さらに昭和2年には室蘭自動車会社(現在の道南バス)と提携して当時としては画期的な「カルルス⇔登別温泉」間の乗合自動車を運行させることになりました。
その結果、温泉としての効能や泉質の良さも口コミで認知され始めていたカルルス温泉は、湯治に訪れるお客様も飛躍的に増え、年間4万人を超えるお客様がお見えになるようになりました。
昭和32年には、太平洋戦後、歓楽・観光・巨大施設化していく温泉地が多くなっていく中、開湯以来の自然環境も含めた療養温泉地としての方向性が評価され、北海道で一番目の「国民保養温泉地」の指定を受けました。
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