長岡駅の歴史 〜窓に秘められた長岡魂〜
更新 : 2024/3/4 15:23
雪解けが始まり早くも春の訪れを
感じる今日この頃の長岡です。
皆さまいかがお過ごしでしょうか?
今回は長岡のシンボルともいうべき
長岡駅にまつわる話をご紹介したいと思います。
1945年8月1日の長岡空襲では街の約8割が焼失、
多くの尊い命が失われました。
長岡駅も空襲の被害にあったものの
市民の消火活動のおかげで
奇跡的に焼けずに残ったそうです。
空襲の翌日には汽車が走り
食料や救援物資を運搬したそうで
市民から驚きの声が上がったそうです。
戦後長岡市は「長岡魂」をスローガンに
全国トップレベルの早さで復興しました。
1980年に現在の長岡駅が開業すると窓には
「五間梯子」(ごげんばしご)のデザインを採用。
昔、長岡の殿様が敵に追われた時に
民が梯子(はしご)でかくまい命を救われ
殿様は民をもっと大切にしようとの決意で
そのはしごを長岡の藩旗にしたそうです。
なぜ駅に五間梯子のデザインを採用したのでしょうか?
それは五間梯子の逸話の「助け合いの精神」の
大切さを示したかったのだと個人的には思います。
戦争や震災のような苦難に負けず復興を遂げた
長岡市民の精神性が実はこの窓のデザインに込められています。
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