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出雲・玉造温泉 白石家のお知らせ・ブログ
神話博しまね【出雲国風土記】其の弐
更新 : 2012/3/2 13:20
例えば、『古事記』に「肥(ひ)川」とある川は、
『日本書紀』では「簸(ひ)川」と表記されていますが、
『出雲国風土記』では「斐伊(ひい)川」とあります。
その川の流域である「斐伊(ひい)郷」は、
『出雲国風土記』では、726年(神亀3)に
郷名を「樋(ひ)」から「斐伊」に改めた、とあり
漢字一字から二字に改めたことがわかります。
こうした「風土記」の多くは、
経年のうちに散逸し、現存する風土記は、
出雲(いずも)・常陸(ひたち)・播磨(はりま)・
豊後(ぶんご)・肥前(ひぜん)の「五風土記」です。
また、『釈日本紀(しゃくにほんぎ)* 』など
後世の書物に引用される形式で残る風土記は
「風土記逸文」と言われています。
こうした「風土記」のうち
『出雲国風土記』のみが「ほぼ完本」で、
編纂者、完成年月日がわかる「風土記」となります。
「ほぼ完本」というのは、
平安時代に編纂された
『和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)* 』に
「多久郷(たくごう)」や「千酌郷(ちくみ)」がみえ、
『出雲国風土記』にない神社名が
『延喜式(えんぎしき)* 』にみえること、
また『出雲国風土記』島根郷(しまねごう)条に
「朝酌下社(あさくみのしもしゃ)があるのに、
「朝酌上社」がみえないこと、
などから一部欠落がある、と考えられているためです。
『島根県』『玉造温泉』『山陰・縁結び』