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『那須与一(なすのよいち)』ゆかりの地、那須高原
カテゴリ:お得情報 2011年10月1日(土)〜
更新 : 2011/10/1 18:24
平安時代末期、源氏と平家の争いにおいて
歴史上の重要な合戦に ≪屋島の戦い≫ があります。
「平家物語」 にその様子が詳しく記されていますが、
『那須与一(なすの・よいち)』 が扇の的を射抜く話は
平家のその後の行く末を象徴しており、
優れた一説として世に広く知られています。
〜「平家物語」の一説より〜
与一は鏑矢を取ってつがえ、十分に引き絞ってひょうと放った。子兵とはいいながら、矢は十二束三伏で弓は強い。鏑矢は、浦一体に鳴り響くほどに長いうなりをたてながら、正確に扇の要から一寸ほど離れたところを射切った。
揺れる舟の上に設置された的を見事に射抜いた
源氏側の弓の名手が 『那須与一(なすの・よいち)』 であり
出生を現在の栃木県那須郡那珂川町として知られています。
与一は的を射る際、このように祈りを捧げておりました。
〜「平家物語」の一説より〜
「南無八幡大菩薩、とりわけわが国の神々、日光権現、宇都宮、【 那須温泉大明神 】…、願わくはあの扇の真ん中を射させてくれ給え。」
この <那須温泉大明神> は現在もなお那須湯本地区に残る、
<那須温泉神社(なすゆぜんじんじゃ)> を示しています。
また、那須高原の八幡(やはた)と呼ばれる地区には
与一が毎日弓矢の稽古をしたとされる史跡、
≪矢隠し石(矢隠岩・やかくしいわ)≫ が残っています。
…那須へ観光にお越しいただく皆様に、
少しでも歴史を感じていただけたら幸いです。
『那須与一(なすの・よいち)』 ゆかりの史跡巡りへと
是非一度お出かけくださいませm(_ _)m
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