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宿番号:339430

宮島を臨む高台に年月を経る毎に美しく進化する小宿

ハイクラス

宮浜温泉
JR山陽本線大野浦駅下車、送迎有り。宮島参拝には宮島口駅へ。駅前本店あなごめしのうえのが送迎の拠点。

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    更新 : 2009/6/2 16:18

    広島市中を抜ける六本の川を船がさかんに行き来していた。
    近年までモーターボートが上下していた。
    今、広島の運河のような六本の川はポカンと空いている。
    すごく寂しい。
    ヨーロッパやアメリカの都市を貫く川や運河は行き来する
    クルーザーのパレードなのに。広島でも少し前までは見られたのに。
    日本人が海洋民でも船の文化を持つ民族でもないのは確か。
    農耕民である。

    昔から海洋民の素がなかったわけではない。学校では教えられ
    ないが古代、倭人は海洋民族だった。
    むしろヨーロッパ人が元は森の民で、海洋に乗り出したのは
    十五、六世紀から、その民衆が海と船に興味を持ち始めたのは
    近代に入ってから。

    古代倭国(日本)の民衆は船で大陸江南、半島西南部と日本を
    往来していた。
    今の日本人は文化と文明は大陸や朝鮮半島から一方的に流れきた
    というイメージを持っているが、大陸と半島の人は騎馬民族で
    船を知らなかった。海を支配したのは倭の国の人々で渡来人も
    倭の国の船で渡来した。情報文化が、波のように大陸から押し寄せて
    きてはぶり返す動きもあった。

    韓国の西南部に前方後円墳が次々発見されて話題になったことがある。
    韓国のメディアは
    「日本人が日本独自という前方後円墳も韓国が元だった!」と扇情的に
    報じ大騒ぎした。
    ところがすべて日本の前方後円墳より新しい時代のものと分かり、
    今は日本から伝わった墳墓の形式であることが分かっている。
    葬られたのも韓国、日本の研究者ともに日本人だろうと推測している。
    それならなぜ日本人の墓があるのかということである。前方後円墳に
    葬られるくらいだから下々の民ではない。倭人の相当な有力者が複数で
    古代の百済に住む理由が有ったということなのである。
    どんな理由にせよ波のゆり戻しのひとつだった。

    白村江の戦いに遠征し破れた大和朝廷は新羅軍が日本に攻めてくるのを
    恐れ、北九州に壮大な砦を造り防人を配備した。
    しかし攻めては来なかった。
    騎馬民族系の軍が対馬海峡を超えてくるのは無理である。無理を承知で
    越えてきた二度の元寇は二度とも失敗している。神風が吹いたからではない。

    大陸朝鮮の情報も渡来人も倭船で渡ってきた。遣随船も遣唐船も遣宗船も
    日本で造られ当時の世界ではもっとも優秀な帆船だった。
    ヨーロッパの国々はイスラムの脅威に打ち勝つと・・・続きは石亭HPへ

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