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庭園の宿 石亭のお知らせ・ブログ
維新後、陸軍も海軍もゼロからスタートした
更新 : 2009/6/17 18:27
ユーラシア大陸の西端のヨーロッパと東端の日本は歴史が似ているが、根本で違うところもある。ヨーロッパでは陸上には騎士が居て海上には海賊が居た。
騎士は日本の侍に当たる者たちで封土(農地)を持ち、そこから収奪する税で成り立っていた。ときに封土の奪い合いや家督争いで戦争が起きた。海上で活躍する海賊は封土がないから騎士の海戦の協力や、一般の船の防衛や通航権や、ときにはむりやりの収奪やあるいは自らの船による流通や交易が支えだった。
ヨーロッパでは陸上の騎士が貴族になり、近代になるとそのまま陸軍の士官になった。海上の海賊も貴族になり、近代海軍の士官になった。したがってヨーロッパで陸海軍の士官は貴族出身が当たり前で、それを真似たアメリカでも良家の子息しか昔は士官学校に入れなかった。
日本の水軍(海賊)は秀吉によって廃止され、したがって十六世紀の時点で日本は海軍の祖が断たれた。廃業した水軍の家系は侍になれず農民などになり、あるいは船乗りや流通関係になった。水軍は瀬戸内海が中心だったから、江戸時代の瀬戸内海の農業の多くが綿やサトウキビやイグサその他工業製品の原料が多かったのは流通とリンクしていたからである。
陸のサムライも秀吉の刀狩りによって整理され、侍身分は平民とはっきり区別されたが、江戸時代に幕藩体制の官僚システムにくみこまれてヨーロッパのような独立した貴族の生活は存在しなかった。明治維新後、侍の身分は廃止され陸軍の祖となることもなかった。
ヨーロッパの多くの国では革命があっても動乱があっても貴族は貴族であり続け、陸軍と海軍を騎士と海賊の貴族が支える系譜の断たれることはなかったが、日本では侍の身分も権利も断絶した。その意味で明治維新は革命より過激だった。維新後、陸軍も海軍もゼロからスタートした。
日本では農民でも貧民でもだれでも士官学校に入ることができた。続きは石亭HPへ