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庭園の宿 石亭のお知らせ・ブログ
宮島のがんぎ
更新 : 2010/6/16 17:34
宮島の厳島神社に続く参道商店街は古風な門前町の賑わいを今も残して、
日本でこれに匹敵する商店街はもうないかもしれない。伊勢神宮内宮の
門前は「おかげ横丁」と名付けされ今も賑わいがあるがテーマパークと
化している。上野浅草寺の「仲見世」も世界中の観光客でにぎわうが、
ショッピングセンターのように規格化されて素朴な味わいはないし。
古風ににぎわう宮島の参道に匹敵するのは京都清水寺の坂道くらいかも
しれない。
清水坂が山に向かうのとは対照に、宮島の商店街は海と並行して延びて、
潮が干くと浜の現れる商店街裏側の海を「有の浦」という。江戸時代は
ここが宮島でいちばんの船着き場だったから、それに沿って商店街が
できたといったほうがよいかもしれない。
つまり商店街のそれぞれの店の裏が港でがんぎ(雁木)があった。がんぎ
は石段で、最大四メートルの干満にかかわらず船の乗り降り、荷の積み下
ろしのできる構造物。荷を満載した船は満潮のときに入り、干潮になると
船は浜に座ってしまうが荷の積み下ろしには安定してよかったかもしれな
い。船は海のリズムに合わせて動いていた。
今は店の裏の海は埋め立てられて松並木のささやかな中央分離帯のある
未舗装道路と遊歩道になっている。その海側にかんぎが再現されている。
江戸時代以来、なぜ船着き場と直結した商店街が栄えていたのかといえば
厳島神社があったからだけではない。それが主かもしれないが、広島湾、
安芸灘周辺のショッピングセンターの役割を持っていたから。京都清水坂
のような純粋な門前町ではなかったのである。今は車で郊外の広大なショ
ッピングモールに行くように、数十年前まで広島や呉のような都会に買い
物に行くという選択肢もあった。今の宮島の商店街にはほぼ土産物屋と観
光客相手の飲食店しかないが、昔は呉服屋、陶器屋、雑貨屋、文具屋など
さまざまな店が並んでいた。銀行や郵便局も大きなものがあったはずで、
今も郵便局は敷地だけは大きい。瀬戸内海にはあちこちの島に大きな商店
街があった。因島にも生口島にも周防大島にも大崎下島の御手洗にもあった。
それぞれの島が小さな都会だったから、宮島も私の生まれた江田島も中心
部の地価は広島市街に匹敵するといわれたが、今は昔の物語。
戦前はショッピングセンターのみならずあちこちの島に軍の基地・・
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