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かごしま黒豚の歴史 〜日本初の豚肉のブランド〜
更新 : 2010/9/29 11:43
戦国時代から薩摩の国では豚肉を、歩く野菜と呼んで食べられていた。
1609年島津家が琉球侵攻をした際に、琉球の豚連れて帰り、薩摩の豚と改良をしたと鹿児島県国分市の国分史記に記載されている。
幕末、井伊直弼が大老となり、彦根藩が代々牛肉を将軍家に献上していた事を中止し、代わりに薩摩の黒豚が献上された。黒船来航で揺れる徳川幕府に外交問題の重鎮・水戸藩主斎昭公をして「いかにも珍味、滋味あり、コクあり、なによりも精がつく」といわしめ、
徳川慶喜は後に「豚一様」と呼ばれるほどに薩摩の黒豚を気に入ったという。また、西郷隆盛も豚骨と呼ばれる郷土料理と、今風で言う肉入り野菜炒めの黒豚料理を愛していたそうです。
現在の鹿児島の黒豚は、明治にバークシャーと呼ばれるイギリス原産の黒豚が導入されて、薩摩で昔から飼われていた土着の豚との改良を重ねたものである。
1863年の薩英同盟の時に英国からバークシャーが贈られたという説もある。
鹿児島に養豚を産業として根付かせた功労者が、枕崎市鹿籠(かご)出身の獣医師、園田兵助である。
枕崎は土地が痩せ、台風の多い土地柄で、1895年の台風では街は壊滅状態になった。
園田は台風に強いサツマイモ栽培と、漁場街である事から手に入りやすい『魚のあら』を組み合わせた養豚を考えた。
また土着の在来豚ではなく、導入されたばかりのバークシャー種に注目し、養豚を住民に説得する一方で、品種改良や販売経路のための養豚組合の設立に尽力した。
戦後、家畜商をしていた同じ鹿籠出身の森繁雄は、1949年南薩鉄道の鹿籠駅から、県内としては初めて黒豚の東京出荷を行った。
東京に送られた黒豚は、美味さと品質の良さから瞬く間に評判を呼び、貨車に鹿籠駅の車票が付いていた事から、この豚は『鹿籠豚』と呼ばれた。
これが、日本初の豚肉のブランドである。
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