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長門湯本温泉
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  • 「海上アルプス 青海島」

    更新 : 2012/12/11 15:34

    『海上アルプス青海島』
      〜海上アルプスの名付け親「横山健堂」〜
    「海上アルプス青海島」という響きを聞き、多くの人がこの写真のように「カモメ岩」のある「静ヶ浦」の海景をイメージされるのではないかと思います。
    青海島を「海上アルプス」と初めて呼んだのは、横山健堂という萩出身の評論家です。大正8年(1919年)初めて青海島の全景を見た横山健堂が、「アルプスは陸上のみにあるとは限らぬ、海上にもある、この風景が即ち海上アルプスである。」と自身の著書「長周游覧記」の中に記しています... 。
     横山健堂(よこやまけんどう/本名・達三)
    明治5年(1872年)12月、萩の生まれ。松下村塾出身で大津郡長や深川村長を務めた父・横山幾太の教育により早くから歴史に関心を抱き、旧制山口高等学校を経て東京帝国大学国史科に入学し近世教育史を専攻。卒業後は大学院に進み、そのかたわら國學院国史科の講師(後に教授)になりました。その他教員の経歴としては、佐賀県や大阪府の中学校の教員、駒沢大学の教授を務めたりしています。教育に関わったとはいえ、健堂の本領は文筆活動であり、読売新聞や毎日新聞に「黒頭巾」や「火山楼」の筆名で、人物評論をはじめ史伝、随筆、紀行などを精力的に発表し盛名を博しました。特に読売新聞に連載した「新人国記」は、各県、地方別に著名人の月旦を試みた歯切れのよいコラムとして一世を風靡し、健堂といえば人物評論という評価を獲得しました。
    昭和18年(1943年)12月没。
    昭和58年(1983年)、下関市吉田町の東行庵に有志の手で顕彰碑が建てられています。

    (2012年11月3日撮影)

    長門市観光課 中谷 信浩さんのFacebookからの引用です。

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