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沖縄古武道とは
更新 : 2014/11/13 19:34
沖縄では、琉球王国時代より各種の武器術が首里・那覇の士族を中心に行われていた。正史『球陽』(1743-45年)には、17世紀に「槍棒の法あり」との記述があり、薩摩服属後も琉球士族の間では槍術や棒術が稽古されていことが分かる[1]。広く知られている俗説の一つとして、琉球には禁武政策により武器がなかったため、徒手空拳の空手(唐手)が発展したとの説があるが、現実には薩摩服属後も琉球士族は武器の所持(鉄砲を除く)を禁じられておらず[2]、こうした武器術は引き続き稽古されていた。実際、当時の空手家は、空手以外にも同時に剣術、槍術、棒術、弓術、釵術等も併せて稽古しており、こうした武器術の名人は何人も知られている。例えば、槍術の西平親方、剣術の具志川親方、弓術の油屋山城等である[3]。また、本土の剣術・槍術・薙刀術も稽古されており、剣術は示現流が多かった。18世紀には琉球士族の間で示現流が伝承されており[4]、首里手の松村宗棍のように薩摩に渡って示現流を修業する首里士族もいた。
一方、那覇でも久米村士族を中心に独自の武器術が伝承されていた。1867年、尚泰王の冊封のために来琉した冊封使の歓迎祝賀会で、「鉄尺」、「棒」、「藤牌」、「車棒」等の武器術が披露されている。鉄尺は釵、藤牌は盾と手槍を用いたティンベー術、車棒は節棍術と考えられている。
また、刀剣類以外にも、ヌンチャクやトンファーなど、非刀剣類の武器術も盛んであった。こうした武器術の歴史は判然としないが、士族の隠し武器(暗器)として発展した説と、ティンベーやサイも含めて琉球武術で使用される多くの武器が、中国や東南アジアで使用されている武器と形状や名称が共通しているため、貿易による交流で取り入れられたという説などがある。
写真に掲載されているトンファーは、石臼の挽き棒が起源との説がある。トンファー術は各種流派で伝承されている。現在では、ニューヨーク警察でも常備を義務付けられているほどの武器である。
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