宿番号:347512
季節のこだわりバイキングと美肌の湯の宿 仙渓園 月岡ホテルのお知らせ・ブログ
親父のひとり言『極上のごちそう』
更新 : 2012/10/9 12:51
戦前の月岡ホテルは、上山城外濠跡の中庭 仙渓園を囲んで23の客室があった。
旅館の建築に関しては、すべて16代の祖父が采配を振っていたらしい。宮ノ下の冨士屋ホテル、日光の金谷ホテルなどは、祖父にとって憧れの建築物であったのであろう。
23室のうち2室は、和室にもかかわらず、ステンドグラスの小窓が取り付けられ、ベッドこそはなかったが、所々洋風のデザインが取り込まれていた。
料理も一部、洋食を取り入れることがハイカラなわけで、祖父は、祖母と結婚した後、洋食の見習いに出たことがあると聞いている。
昭和30年代、米軍キャンプで経験を積んできたコックが調理長になった。和食主体の料理ではあるが、当然、献立の一部には洋食が入ってきた。
当時は、旅館の息子といえども、お客様の料理を自由に食べることは、ありえないことで、時々、数を間違えたり、手つかずの料理が下がってきたりすると、それにありつけた。
忘れられない洋食は、エビグラタンとローストビーフである。今から半世紀以上も前のことであるから、チーズを食べている子供は極めて少なく、私の友達には、1人もいなかった。
エビグラタンは、ペシャメルソースの上に粉チーズとパン粉をかけ、オーブンで焼いて仕上げる。火が通ってくると、調理場全体にいい匂いが広がり、大いに食欲をそそるものであった。キツネ色に焼きあがった粉チーズとパン粉をペシャメルソースと供にスプーンですくい、ひとくち食べれば、そこには別の世界があった。
その頃、ローストビーフは大変高価なものだった。牛肉の輸入はまだ解禁されていない時代で、牛肉はすべて国産牛だったのである。私は、ローストビーフそのものを食べさせてもらったと思うのだが、あまり覚えていない。忘れられないのは、オーブンバットの底に溜まった肉汁の味であった。やや和風に味付けられた肉汁の表面の脂を少し取り除いて、これをごはんにかけて食べると、これまた別の世界が広がるのであった。
子供の頃の極上のごちそうが、無意識に頭にインプットされているせいか、立食パーティなどで、キツネ色に焼かれたチーズの料理が出れば、何も考えないで手を出してしまう。ローストビーフに至っては、ミディアムレアの真ん中でなく、端をカットしてもらう。時々コックが苦笑まじりに気の毒そうな顔をするが、私にとって一番おいしいのは、肉汁がしみこんだ端の方なのである。