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秋田温泉さとみのお知らせ・ブログ
上流住民唯一の足
更新 : 2010/10/20 17:49
仁別森林鉄道は、旭川の上流に住む人々にとって唯一の交通機関だった。
昔から車馬がなんとか通れる道は県都から松原までしかなく、秋田市営バスが添川まで来るようになったのは、昭和二十九年(1954)五月という事実がすべてを物語っていると言えよう。
従って、松原より奥の地域にとっては、かけがえのない足である。県都への用足しはもとより、生活物資の運搬、嫁入りまでも森林鉄道だった。営林署側も現地の実情に対応して列車の編成を客・貨混成とし、地元民には乗車整理券(無料)を交付した。
また、仁別国有林は秋田県内でも有数の森林、渓谷美を誇る所だけに、そこを訪れる行楽の人々、山菜採り、太平登山者にも森林鉄道はひんぱんに利用された。だから森林鉄道は山間辺地への文化運搬カーでもあったわけだし、地域の若い男女は機関手と保線手に憧れた。一族あげて営林署、担当区事業所勤めというケースも珍しくなかった。太平洋戦争が終結した直後の混乱期には資材難で鉄道が荒れ、しばしば脱線事故が起きた。その一方、ヤミ米などの運搬もひそかに行われたとの話もある。
運転期間は四月末から、十二月十二日“山の神”祭りの前後まで。冬の間、機関車は解体整備され、秋田駅東の車庫で“冬休み”をとった。(秋田市旭川郷土史より)