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浜名湖周辺の山々
更新 : 2012/9/26 20:09
久しぶりに第二東名を走ってきました。
やはり第二東名のドライブは、最高に気持ちが良いですね!
第二東名は旧東名に比べて山寄りの地区を走っており、気持ち良くまっすぐな道路になるようにトンネルをたくさん作ったと聞きます。浜名湖の付近では、「三笠山(みかさやま)トンネル」、「引佐(いなさ)トンネル」、「奥山(おくやま)トンネル」、「富幕山(とんまくやま)トンネル」の4つがあるのですが、どれも走りやすく、結構な長さがあるのに驚きます。これだけ造るのに、どのくらい大変だったんでしょうねえ。
私は極度な歴史好きですので、別なことに関心が湧きます。これらのトンネルは、この付近では歴史的に有名だった山々の地下をくりぬかれて造られているのです。私が大好きな皇子さまやお姫さまたちが戦った山々の遙か地下を、私がこのように気持ちよく車で走り抜けているだなんて。本当に感無量です。
これらの地区が歴史的に戦乱の場所であったのは、「南北朝」と呼ばれた時代です。宗良親王(むねなが/むねよししんのう)という後醍醐天皇の皇子が征夷大将軍に任命されて浜名湖にやってきて、でもこの皇子さまは歌ばかり得意で戦争にからきし弱かったので、近くの山々に籠もって足利尊氏軍と抗戦を続けるしかなかったのですが、この皇子様はカリスマだけはあり、その人柄を慕って数多くの皇子やお姫様や勇者たち(新田一族とか北条時行とか)が浜名湖北岸に集ってきたという、そういう時代がありました。宗良親王は50年近くも戦っていたのに、『太平記』やそのほかの史書にもその活躍はほとんど載っておらず(だって戦争に弱かったから)、でもそんな人が50年も浜名湖や信州や越後で戦い続けられた理由を考えてみると、涙が噴き出してこずにはおられませんのです。浜名湖北岸の山々は南北朝ロマンの山々でございます。
また、大昔この地に住んでいた新羅人の技術者軍団が高野山の軍勢と戦ったという富幕山の伝説や、戦国時代には地侍たちが忍者に変装して山に籠もり、侵掠してきた武田信玄軍と戦ったという逸話も残っております。竜ヶ岩洞のような知られざる大洞窟も、実はまだまだいっぱいあったりするんでしょうねえ。トンネルの中は気を抜くと(あまりにも走りやすくて)とんでもないスピードが出ていたりするので、注意が必要です。
(利根川)
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