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浜松城のなぞ
更新 : 2013/6/5 1:44
(※写真は島根県の松江城)
浜松市はとても面積が広い町です。その浜松の中心はどこかというと、浜松駅ではなくて浜松城。車で繁華街をドライブすると、浜松の町がお城を中心に繁栄しているのがよくわかります。(浜松の駅周辺は寂れてしまっています)
現在、浜松城跡には昭和33年に建てられた小さな復興模擬天守があって、“出世城”として町のシンボルとなっています。でも実はこれ、かなり創作的なデザインの物だそうです。発掘調査の結果、天守台になんらかの建物があった可能性は大きいのだそうですが、その姿はいまだになぞ。
最近になって注目されているのは、静岡県の浜松城と島根県にある松江城の石垣の構造に、大きな共通点があることだそうです。実は、浜松城に天守閣が建っていたとしたら、その建造者として一番可能性が高いのは徳川家康ではなく(浜松時代の家康はとてもケチな事で有名だったので、石垣や天守閣は作らなかったとされている)、家康のあとで浜松城主となった堀尾吉晴という戦国大名だとされる。彼は築城の達人である豊臣秀吉の古い友人でした。のちに壮大で重厚な松江城を作ったのも堀尾吉晴。
だから、「浜松城に天守閣があったとしたら、松江城に似ていたはず」と、いろんな人が言っているのです。(実際に吉晴の友人であった掛川城主・山内一豊が、土佐藩主になったあと、掛川城にうりふたつの高知城を建てたという例があるから)
とはいえ、私も一回だけ松江に行ったことがありますが、松江城と浜松城はかなり雰囲気が違います。なにしろ松江城はすごく大きいのに、浜松城はとてもちっちゃい。しかしそれも建築のトリックで、浜松城の天守台は、松江城並みの建築物が建っていてもおかしくはない大きさを持っているのだそうです。浜松城は意外とナゾだらけのお城であります。
どうぞ皆様、松江の近くにも星野リゾートの界出雲がありますので、浜松人のかわりに松江城と浜松城のなぞを解き明かす旅をしてみてくださいませ。・・・そう考えると浜名湖と宍道湖も兄弟みたいなものですよね。
徳川家康と同じくらい“出世大名吉晴くん”だった彼の命日は、慶長16年(旧暦)6月17日だそうです。
(歴史マニアの利根川)
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