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お江戸日本橋は俳句の三俳聖がいた聖地だった 蕪村
更新 : 2010/2/20 12:48
日本橋に三俳聖 がいた! 時代こそ違え、日本橋に存在していました。
お江戸日本橋は俳句の聖地メッカだった! 【 与謝 蕪村 松尾芭蕉 小林一茶 の三俳聖】
日本橋 三俳聖がいた聖地の散策コース
むろまち小路の芭蕉句碑・鮒佐→時の鐘通りの蕪村の句碑→十思公園内時の鐘→久松町の一茶
をめぐる一日をお楽しみください。
写真は 与謝蕪村 呉春作
与謝 蕪村は ホテルかずさや前の時の鐘通りにある「蕪村 夜半亭の石碑」があります。
江戸俳諧の巨匠の一人であり、江戸俳諧中興の祖といわれる。また、俳画の創始者でもある。
写実的で絵画的な発句を得意とした。
独創性を失った当時の俳諧を憂い『蕉風回帰』を唱え、絵画用語である『離俗論』を句に適用した天明調の俳諧を確立させた中心的な人物である。
20歳の頃江戸に下り早野巴人(はやの はじん〔夜半亭宋阿(やはんてい そうあ)〕)に師事し俳諧を学ぶ。日本橋石町「時の鐘」辺の師の寓居に住まいした。このときは宰鳥と号していた。
画号は「春星」、「謝寅(しゃいん)」など複数の名前を持っている。
山水図(出光美術館)六曲一双 重要文化財 1763年
山野行楽図(東京国立博物館)六曲一双 重要文化財
27歳の時、師が没したあと下総国結城(茨城県結城市)の砂岡雁宕(いさおか がんとう)のもとに寄寓し、松尾芭蕉に憧れてその足跡を辿り東北地方を周遊した。その際の手記を寛保4年(1744年)に雁宕の娘婿で下野国宇都宮(栃木県宇都宮市)の佐藤露鳩(さとう ろきゅう)宅に居寓した際に編集した『歳旦帳(宇都宮歳旦帳)』
にて蕪村を号した。
その後諸国を歴遊し42歳の頃京都に居を構えた。この頃与謝を名乗るようになる。
母親が丹後与謝の出身だから名乗ったという説もあるが定かではない。
特に私が好きな句を 「うつつなき つまみ心の 胡蝶かな」
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