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【東京を楽しむ】東京の歴史を紐解く弁慶橋
更新 : 2017/11/7 11:39
皇居のお堀りを見れば、皇居周りを取り囲むお堀であることは一目瞭然ですが、都内にはかつてのお堀の跡が残る場所がいくつかあります。
その中でも赤坂にある「弁慶橋」付近はかつての江戸城のお堀がそこにあったことがわかるちょっと不思議な景色です。
「江戸城外堀跡」として文化財指定されています。 とはいえ江戸時代にはここに橋はかかっておらず、当時の人々はお堀沿いに東に進み、赤坂門を出なければなりませんでした。 橋が架けられたのは明治22年(1889)のこと。江戸時代、神田の鍛冶町から紺屋町・岩本町辺りを流れていた藍染川に架かっていた弁慶橋が明治18年(1885)頃に廃橋となったため、その廃材を用いてここに橋が架け替えられ、弁慶橋の名を継承したといわれています。
この日の弁慶橋は夕日に照らされ、実に美しい風景が広がっていました。 またこの一帯には近代的なビルも多く、かつての面影と都会的な風景が融合する、東京ならではの景色! 散歩するのに気持ちいい季節になりました。 東京の歴史を紐解く風景を見ながら、ゆっくり散策するのにおすすめです。
―以下「千代田区観光協会」より弁慶橋の説明―
紀尾井町の東側から南側に水をたたえている弁慶堀に架かっている橋です。清水谷公園前を通って、紀尾井町から港区元赤坂一丁目に通じる道筋にあります。
明治22年(1889)に、それまで神田松枝町と岩本町との間にあった弁慶橋が不用になったため、ここに移されました。
江戸城普請の大工の棟梁であった弁慶小左衛門が作った橋であることから、弁慶橋と名付けられたといわれています。
弁慶橋ができたため、それまで遠く迂回して行き来していた両側の住民は大変喜びました。それまでは清水谷公園前の道は人通りも少なくさびしい道でした。現在の弁慶橋は、昭和60年(1985)11月に改架した、長さ44.75m、幅22.0mのコンクリ−ト橋です
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