宿番号:374355
筑波山江戸屋のお知らせ・ブログ
ご近所さん
更新 : 2010/3/16 23:59
こんばんは。gu−mamaです。
最近のお天気には散々ふりまわされております。
あったかくなったかと思えば雨が降ってきたり。皆様お風邪などひいてはおりませんか?
ところで話は変わりますがgu−mamaファミリーも下妻市へ移住してはや6年。
ご近所の方たちとも仲良くお付き合いをさせていたいております。先日も商店街の奥様方がご夕食で利用してくださったり、お向かいのお父様が昔勤めていた会社の方たちとご宿泊して下さったり、お肉屋さんのご家族も皆様でご宿泊して下さったりとご贔屓にしていただいております。
ご近所の皆様本当にありがとうございます♪
そしてまたお隣の青木さんがすごい方だったのでご紹介させていただきます。
青木さんご夫婦はお二人とも看護師のお仕事をされている方ということは存じていたのですが、ここのところ青木さんのご主人の車がずーっと駐車場にあり、ちょっと近所としては心配をしておりました。
ある日新聞を読んでいたら‘あれっ?`
青木さんのご主人なんとハイチに行かれていたのです!
国際緊急援助医療チームの一員としてハイチ大地震の被災地に入った県立中央病院の看護師、青木正志さんが帰国し、茨城新聞の取材に「これまでで最も厳しい現場だった」と2週間の活動を振り返った。ほとんどの建物が倒壊、重症患者が診療所に連なる過酷な現場で、青木さんは現地の看護学生の協力などに一筋の光明を見いだした。日本チームは1月16日に出発、17日に米マイアミから自衛隊機で、ハイチの首都ボルトープランスに入り、さらに南西約40キロの都市レオガンに移動して活動した。目にしたのは壊滅した町。「建物はほとんど崩れ、傾いていた。」避難民は道路の中央や空き地にテントを張り急場をしのいでいた。最貧国の一つといわれるハイチ。もともと少ないインフラが遮断され、行政府はまひ。首都が壊滅したことで処置した患者の入院先もない。海外派遣要請が9回目とベテランの青木さんも、これほど困難な状況は初めての経験だった。
看護師のリーダーを務めた青木さんは処置の優先度を決めるトリアージも担当。「全員診てあげたいが、まずは重症の被災者を診ないと」とやりきれない思いをこらえた。活動を自衛隊に引継ぎ、29日に帰国した。{茨城新聞より抜粋}
ハイチが少しでも早く復興し、皆が笑顔で生活出来る事をgu−mamaも日本から祈っています!!
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