宿番号:374355
筑波山江戸屋のお知らせ・ブログ
筑波山を知ろう☆[vol.3]
更新 : 2010/4/10 0:29
こんにちはminaです
今日は筑波山の全盛期について、お話したいと思います。
時代はそう!!!江戸屋が誕生した「江戸」で〜す
天正18(1590)年8月、豊臣秀吉の命令により、
徳川家康が江戸城を治めることになりました。
当時の江戸では北の方角は不吉とされ、
北向きに玄関を作ると不幸があるとか、
北向きにお手洗いがあると罰が当たるといった迷信があったそうです。
家康もこの迷信を気にして、
江戸城から北に位置する山を指し、
「あの山はなんと言うのだ!江戸城の鬼門に当たるではないか!」
と家臣に問いただしました。
家臣:「あれこそ歌に名高い筑波山でござります。」
家康:「そうか。あれが筑波か。されば二神のとおとい山だな。」
家臣:「御意にござります。」
家康:「当城の鬼門にあたるから使者を出して、城の安全鎮護を祈願するとよい。」
家臣:「ハハーッ!」
・・・といういきさつで、徳川家康の使者が筑波山に登ったと言われています。
また関ヶ原の戦いののち、家康が天下をとると、
筑波山を徳川家の祈願所を定め、寺領500石を知足院中禅寺に寄付します。
これが慶長7(1602)年、11月25日のことです。
慶長19(1614)年11月、徳川家が豊臣家を滅ぼした大阪冬の陣、
翌年の夏の陣では、筑波山の光誉上人(こうよしょうにん)が徳川方として従軍しました。
陣中でお経をあげたり、傷を負った兵士に膏薬(こうやく)を塗ってあげました。
がまのような顔をしたお坊さんの薬がよく効くと評判になり、
光誉上人はガマ上人と呼ばれるようになりました。
このとき光誉上人は膏薬を貝殻につめて、
気前よく兵士たちに分けてあげたそうです。
徳川幕府の筑波振興は、家康の死後もますます盛んになり、
三代将軍家光は寛永9(1632)年春から、
知足院中禅寺の社殿改築に着手します。
これがのちの筑波山神社になります。
さて皆様
江戸屋が創業した年をご存知でしょうか?
そう!改築の4年前の寛永5(1628)年なのです!
初代吉岡久左衛門さんは、この中禅寺の改築を噂に聞きつけて、
ひともうけしようと宿屋を始めたのでしょうね!
もともと久左衛門さんは京都のお坊さんだったとの説が有力です。
続きはまた次回お送りいたします