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宿番号:374355

口コミ夕食高評価!お子様にやさしい筑波山温泉のくつろぎの宿

筑波山温泉
常磐道土浦北IC〜R125を筑波山方面30分。TXつくば駅〜シャトルバス筑波山神社入口下車。徒歩400m

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    筑波山を知ろう☆[vol.4]

    更新 : 2010/4/10 13:51

    こんにちは
    minaです
    さて今日も「江戸」の続きです

    江戸時代の茨城には、水戸藩、府中藩、土浦藩、谷田部藩など
    10あまりの藩がおかれ、それぞれの大名が領内を治めていました。

    しかし!
    我が筑波山はなんと例外だったのです!!!

    なぜなら・・・それは幕府の祈願所だったから☆
    筑波山は江戸の寺社奉行に直属し、
    山の政務は奉行の代官にまかされていました。
    今で言う政令指定都市みたいなもの?違うかな?!

    江戸の管理下だから厳しかったのかと思いきや、
    逆にとてもゆるやかな秩序で、守られていたようです。
    山は神と仏の領域で、慈悲が第1と考えられ、
    どんな重罪人でもとがめられなかったとのこと。
    よそで強盗などの罪を犯して、役人に追いかけられても、
    筑波山に逃げ込めば決してつかまらなかったというからオドロキです

    当時、山頂の御幸ヶ原には5つの茶屋がありました。
    御幸ヶ原というのは地図上で言うと、
    現在のケーブルカーで降りたすぐの地点を指します。

     ●依雲(いうん)亭
     ●迎客(こうかく)亭
     ●遊仙(ゆうせん)亭
     ●向月(こうげつ)亭
     ●放眼(ほうがん)亭
    の5つで、易断と哲学の五行説にちなんで、
    家光将軍の頃に5つと定めたものでした。
    江戸時代においてこの5軒を増やすことも減らすことも許されなかったと言います。

    五軒茶屋では夫婦餅(めおともち)と田楽豆腐を販売していました。
    それ以外のものを販売することは代官に禁じられていたので、
    この2つだけが当時の筑波名物でした。

    地元の者はこの五亭の様子を、

    前は男体 うしろは女体 仲でもち焼く 五家の茶屋

    と歌に詠みました。
    男体山、女体山の間で五軒の茶屋が、後家さんみたいにやきもちを焼いている、
    とからかったのです。

    さて江戸屋ツウの皆様はもうお気づきでしょうか?
    そう!!!
    江戸屋の宴会場は、
    依雲、向月、遊仙亭、迎客と名付けております。
    よく「なんて読むの?」
    「なんでそんなわかりづらい名前なの?」
    と聞かれるのですが・・・実はこんなに由緒ある名前をいただいていたのです!
    お許しください

    そして、ひとつはずれていまった放眼亭!!! 
    残念ですね〜
    いつか新しく増設する宴会場があれば、名付けたいですね

    次回は江戸からすすんで、明治・大正・昭和を振り返ります!
    お楽しみにぃ☆

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