宿番号:374355
筑波山江戸屋のお知らせ・ブログ
筑波山を知ろう☆[vol.5]
更新 : 2010/4/11 12:19
こんにちは
minaです
前回の予告どおり、江戸から時代をすすめていきたいと思います。
全盛を迎えれば、転落が待っている・・・
世の常、ですね
筑波山も例にもれず、明治時代に入って急にさびれてしまいます
それは「廃仏棄釈(はいぶつきしゃく)」の運動が全国的に広がっていたことが発端です。
仏教は日本には合わない!
寺や仏像は壊してしまえぇ!
・・・という退廃的な考えに押されて
全国各地、たくさんの仏閣は姿を消してしまいます。
明治5年8月、瀬尾戸長らによって知足院中禅寺もこわされました。
また同月27日には仏像や仏画、仏具を境内で焼き払われてしまいます。
材木は薪にしたり、谷川に流したりして、
奈良時代末から1000年以上も続いた寺が、
わずか10数日のうちにすべて失われたのです。
明治に入ってすぐ、山の人々はなんとかして昔の景気を取り戻そうと考えました。
こわされた中禅寺跡は筑波山神社として拝殿を建て、姿を取り戻しました。
「文明開化」がもてはやされ、西洋風が好まれたことを受けて、
なんと江戸屋の7代目吉岡由太郎さんは、洋風旅館を思い立ちます。
腕利きの大工さんを引き連れて、横浜の外国人屋敷を観察し、
建築上の注意などを聞いて、着工したと言います。
そうして明治6年には4階建てのオランダ屋敷が完成します
1階から4階までのらせん階段
3、4階の南向きには、洋風の欄干をめぐらした回廊があり、
部屋には油絵を飾りました。
由太郎さんは、当時の新聞・雑誌にこんな広告を出します・・・
本館は内外の花客を末にきわめて懇切、
客室に器具に調理に、すべて清新、
天然の景にそうべく人為の礼を尽くさんと欲す
「内外の花客」とはなんと外国人も歓迎するという意味があったと言います。
明治からVISIT JAPAN☆
由太郎さん、すばらしいですね
明治12年に筑波山で全国大博覧会が開催された時は、
このオランダ屋敷も大きな目玉だったようです!
非常に残念ながらこのオランダ屋敷は現存されておりません
現会長10代目吉岡昭文さんは、幼いころに見たことはある、
と言っておりました。
私も見たかったです・・・
今回も明治までしかすすめませんでした
また次回、大女将が誕生した大正、続いて昭和をご紹介したいとおもいま〜す
ありがとうございました