越後と会津をつなぐ大事な道が、嵐渓荘よりさらに奥にありました。
八十里越え(はちじゅうりごえ)と呼ばれていました。一里が十里に感じる険しい道だったそう。
司馬遼太郎の作品「峠」のまさにその峠が八十里越えです。
河井継之助がこの峠を越えて越後から会津へ腰(越)抜け武士と戸板に載せられ敗走しました。
その道を現在に復活させようという方達が現れ、毎年少しづつ整備が進んでいます。
今日はその有志の方達が今年の成果を発表する山歩きに参加しました。
出発前に配られた手書きの地図。
吉ヶ平から、ここ数年かけて整備復活された八十里越え古道を歩き、
そのまま番屋山へ登り、雨生ヶ池を巡って吉ヶ平に戻るルート。
途中途中で、歴史古道の解説がありました。
古道には天保古道と明治新道があり、
また田んぼへの水路も平行して整備されていたそう。
なんでもない画像にみえるとおもいますが、
軽トラックでも通れそうな道幅のつづら折りのこちらの道が古道。
今から100年以上前の重機など無い頃、おもに人力で開削された道です。
そして、交通革命と度重なる洪水や雪崩によりこの道は忘れ去られていったそうです。
2000年以降の大洪水がとどめを刺し、道は放置され、ひどいヤブの原野状態に。
それを、有志のみなさんが時間と労力をかけてここまで整備。
いずれの時代にも苦労が偲ばれます。
途中けっこうきつい登りもありましたが、9時頃吉ヶ平を出発して12時前に番屋山頂上到着。
今日は空気も澄んでいて遠くまで眺望が望めます。
番屋というだけあり、南は守門岳で遮られていますが、西・北・東はどこまでも見えます。
東には現在工事中の国道289号線(三条市から福島県只見町に抜ける国道)の橋梁工事現場が見えます。
北には大谷ダムが見えます。そのむこうには光明山、粟ヶ岳が重なり、マイナー百名山1位の矢筈岳も頭が見える。
そして!北西に「机山」が見えました。机山の下に嵐渓荘があります。
ここからあちらが見えるということは、机山からここが見えるということか。
…急にそれを確認したくなりました。
日が陰る前にこのまま机山にも行ってみることにしました。
【Part2】へ続く──。