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浅草橋の歴史
更新 : 2022/5/2 12:36
当ホテルから浅草橋駅に行くときに渡る、神田川に架かる浅草橋。
ここには忘れてはいけない歴史があるのです。
浅草橋が初めて竣工されたのは嘉永13年(1636年)。
この橋が通る江戸通りは、浅草寺へと続く道であり、さらに東北へと
繋がる奥州街道でもあったため、主要な道として古くから多くの人々
に利用されてきました。
江戸時代、神田川は江戸城の外堀であり、さらに浅草橋は隅田川と
神田川が交差する場所にあるため、重要な防衛場所でした。
幕府は城の防衛を強化する目的で『浅草橋門』という城門と、門の
内側には『浅草橋見附』を設置しました。見附とは、通行人の監視を
する見張りを置いていた番所のことです。
江戸城の周りには36箇所もの見附があったそうです。赤坂見附など、
一部は現在も地名として残っていますね。
浅草橋見附は地名にはなりませんでしたが、現在は写真のように橋
北側のたもとに石碑が建っています。
そんな重要な守りを担っていた浅草橋門ですが、1657年の明暦の
大火の際に悲劇が起きました。明暦の大火は『江戸三大大火』に数え
られる、江戸の町を6割焼失した大火事です。
付近に火の手が迫ってきた際、小伝馬町にあった牢屋敷の囚人達が
一時的に解放されたのですが、そのことを知らされていなかった浅草橋
門の番人は、囚人が脱走したと勘違いして門を閉じてしまったのです。
浅草方面へ避難しようと浅草橋門へ殺到していた市民達はそこから
逃げることができず、迫りくる炎にパニック状態に陥りました。
体力のある人は神田川へ飛び込みましたが、その際に石垣に身体を
ぶつけて亡くなる方、無事に飛び込めたものの後から次々と川へ落ち
て来る人に圧されて圧死してしまう方、逃げ場を失い焼死した方…
2万人もの人が浅草橋門で亡くなったそうです。
惨い…
明暦の大火全体の死者数が6万8千人なので、なんと3割以上の方が
浅草橋で命を落としています。
現在の浅草橋は、そんな悲惨な出来事があったことなど微塵も感じさせ
ないほど、昼夜問わず車通りの多い賑やかな場所ですが、この悲しい
歴史を知ってからはこの橋を渡る時は神妙な気持ちになります。
普段何気なく通っている道や場所にも、調べてみると意外な歴史が
ありますね。
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