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萩の宿 常茂恵のお知らせ・ブログ
松陰が投じられた牢獄は元・藩士の屋敷だった!
更新 : 2008/12/12 7:00
高杉晋作をはじめ多くの志士が繋がれ、また処刑された野山獄跡は、維新
当時の萩藩の波乱に富んだ姿を偲ぶことができる、維新史を語るうえでも
重要な遺跡。
この野山獄、実はお取り潰しされた、大組藩士の家の跡。(*△*)
どうして、お取り潰しなんてことになったかと言うと、
正保2年(1645)9月夜、酒に酔った大組藩士禄高200石・岩倉孫兵衛が
道ひとつ隔てた西隣りの、同じく大組藩士禄高200石・野山六右衛門
の屋敷に斬り込み、家族を殺傷するという事件が起こったのです!ヽ(゚Д゚)ゝ
藩は、被害者・野山宅に、加害者・岩倉を幽閉し、岩倉は後に斬首の
刑に処されましたが、喧嘩両成敗ということで両家は取り潰し、屋敷
は没収され、その後、両家跡を「野山獄」「岩倉獄」としたそうです。
この「野山獄」と「岩倉獄」は、収容される身分によって使い分けられ
ました。
切り込んだ岩倉に非があるので、士分の者を収容する上牢を「野山獄」
庶民を収容する下牢を「岩倉獄」といった具合です。
なので、海外密航に失敗した吉田松陰は「野山獄」に投じられ、従者の
金子重之助は「岩倉獄」に投じられたのです。
現在は、当時の敷地の一部を残し、記念碑が建てられているだけで、
観光地としても、少しマイナーかもしれませんが、なぜ牢獄に「野山」
「岩倉」と地名ではなく人名がつけられているのか、ということを知ると
歴史の違った一面が見えてきますよね(*´▽`*)