縄文時代より岩手県北地方は、ウルシの木が多く自生し、日本有数の漆の産地で、漆器が多くつくられ、安比高原のブナ二次林もその名残だといわれています。
炭焼き用の木や漆器用の木地をつくるために原生林が伐採され、その後に生まれたのが二次林である。安比川上流で伐採された木々は、川を降って畑地区で器に成形され、荒沢地区に住む職人によって浄法寺で採取された漆が塗られた。それは「荒沢漆器」と呼ばれ、明治時代には隆盛を誇り、漆器生産に携わる人が約500名もいたという。しかし、昭和に入り、プラスチック食器の台頭により衰退していった。
職人が減少していくなか、昭和58年(1983)、荒沢漆器の伝統を後世へ伝えるために「安代町漆器センター(現・八幡平市安代漆工技術研究センター)」が設立され、「安比塗」として、伝統を踏まえつつ、現代の食生活にマッチした漆器として生まれ変わったものです。