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熊曽(クマソ)の復活と「ふる里村運動」【その2】
更新 : 2025/3/10 10:24
「日本書紀」では、ヤマトタケルは童女の姿に変装し、クマソの首長の川上梟帥(カワカミタケル)の酒宴に紛れ込み、酔いがまわったところで、川上梟帥の胸を刺したと記されています。
騙しと不意打ちです。
そして大和朝廷に平定され従ったクマソが、後に隼人(ハヤト)と呼ばれたとあります。
福岡生まれの私は、幼少の頃両親に、筥崎宮放生会(はこざきぐうほうじょうや)のお祭りに連れて行ってもらったものでした。
露店には椎の実や葉っぱ付の生姜が並んでいた記憶があります。
父に「縁起物だから椎の実は食べんといかん」と言われ、食べた椎の実は少し苦く味の薄い栗のようでした。
この祭りの起源は奈良時代に遡り、養老4(720)年の朝廷の制圧に対するハヤトの反乱、レジスタンス戦争に由来します。
以降疫病や凶作、天災が続き、討伐されたハヤトの霊の祟りだと恐れられ、霊を慰めるため、代わりに捕らえた生き物を野に放つ放生会となったとのことです。
論文では、クマソ復権運動と同時期に東北で蝦夷(エミシ)の族長アテルイの復権運動が、お互いの運動を知らずに起こっていたと、述べられていました。
東北のエミシはクマソ同様、大和朝廷に従わない「服(まつろ)わぬ民」でした。
「日本書紀」には、エミシは五穀も家もなく、肉を食して深山の木の下に眠っていると記されています。
まるで獣です。
しかし青森県青森市の三内丸山遺跡の発見は、大和朝廷由来の未開人といった偏見を覆しました。
数多くの土器、土偶、高度な漆工技術、北海道産の黒曜石、新潟県糸魚川産のヒスイ、岩手産の琥珀。
また、稲作が困難と思われた北東北に、弥生時代前期、既に水田耕作が普及していたのです。
奈良時代の神亀元(724)年に宮城県多賀城に国府と鎮守府が置かれ、朝廷による本格的な支配体制が始まり、朝廷は支配地を広げていきます。
延暦8(789)年、朝廷の征東北軍の進撃に対したのがエミシの首長、阿弖利為(アテルイ)の軍です。
クマソ、エミシは朝廷と同等以上の技術や文化を持っていたと考えています。
豊かであった故に支配下に置き、徴税したかったのです。
「古事記」「日本書紀」は勝った側の歴史書。
もう、嘘、蛇の如き二枚舌、騙しは懲り懲りです。
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