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熊曽(クマソ)の復活と「ふる里村運動」【その3】
更新 : 2025/3/10 10:26
そんな中、地方の復興運動はコンプレックスなどの精神論や意識変革だけではない、と向日葵の友人の言葉で私の視野が変わるのです。
各地方が一斉に地元の歴史に目覚めたのは、故・竹下登総理大臣の「ふるさと創生事業」に因る。
昭和63 (1988)年から平成元(1989)年にかけて、日本中の市町村全てにもれなく1億円を交付した「ふるさと創生事業」は、税金の無駄使いとも揶揄されたが、都市へ向かっていた人の意識が、逆に地元へ地方へと向かった。
今から見れば素晴らしい政策だった。
その大きな一翼に「ふるさと村情報」があったというのです。
五井野博士が1970年代から行った、人間らしさを求める社会運動「ウイッピー運動」は、環境浄化運動である、空缶リサイクル運動、反タバコ公害モク拾い運動を経て里造り、ふる里村運動に変化していきました。
若者が都会から離れ、地方に自分達のコミュニティ「ふる里村」を創ろうという運動。
若者が自分達で家を造ることを奨励した博士は、雑誌「ふる里村情報」で、初めて、全国の裁判所の競売物件情報を紹介したのです。
これまでの常識を覆した、若い内に手持ちのお金で不動産を持つという運動は、たちまち大反響を呼びました。
向日葵の友人も、就職して一年目に給料の約一ヵ月分で、入笠山(にゅうかさやま)の中腹の開発が頓挫した別荘分譲地を一区画、競売で落札した経験があるとか。
その後の不動産高騰のバブル景気で、頼まれて5倍の値で譲ってしまい、図らずも土地転がしをしてしまった、と話していました。
かつて竹下登総理大臣が、大蔵大臣時代の昭和61(1986)年、大町市のドライブインをリフォームした屋敷に、わざわざ博士を訪ね会談し、「こういう若者がいるなら日本は大丈夫だ。」と言い帰った。
浮世絵勉強会の参加者の一人がそう昔語りをしたのでした。
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