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信貴山人物図鑑その2
更新 : 2008/9/16 21:03
忘れた頃にやってきました信貴山人物図鑑。今回はある意味信貴山絡みでは一番有名な人物、戦国の梟雄松永久秀です。しばしば斉藤道三や北条早雲らと共に戦国時代の下剋上の体現者として語られ、役職からよく松永弾正と呼ばれます。
久秀が歴史の表舞台に出てくるのは三好長慶に仕えてからです。三好長慶が主君細川晴元や室町将軍足利義輝を追放して京都を支配してからは久秀も幕政に辣腕を振るうようになります。同時に、居城を大和国信貴山城に移し、興福寺を破って大和一国を支配します。更に、相次ぐ三好一族の不慮の死や謀殺により、久秀は三好家内においても主君長慶をしのぐ実力者となります。
長慶死後は将軍義輝を攻め殺すも、三好三人衆と筒井城主筒井順慶との挟撃に合い、敗退。当時上洛してきた織田信長に降伏します。その後信長と行動を共にするも、将軍足利義昭の呼びかけで信長包囲網に参加、信長から離反します。しかし包囲網の最大・最強の勢力であった武田信玄が病死すると信長軍の攻勢に遭い再び降伏します。
以降は石山本願寺等と戦うも、上杉謙信らと呼応して再度信長に叛旗を翻します。しかし信貴山城を包囲され、万事休します。このとき信長は名器・古天明平蜘蛛(平蜘蛛茶釜)を差し出せば許すと述べましたが、拒否。最期は平蜘蛛茶釜に爆薬を仕込んで、爆死したと伝わっています。この爆死は文献上では日本初となる方法での自害です。
有名な事績に将軍暗殺や三好三人衆との戦いの最中に東大寺を焼く(ただしルイス=フロイスは三好方のキリシタンが焼いたと記述)などがあり、昔から悪名高く、狡猾なイメージがつきまといます。しかし天守閣を始めるなど当時の城郭建築の第一人者で、平蜘蛛茶釜以外に九十九茄子等の名器も所有するなど茶人としても当時一級の人物でした。また美男子で立ち振る舞いも優雅な教養人で領国には善政を敷いたと言われ、織田信長もその実力には一目置いていたといいます。他に面白いところでは、日本で初めてクリスマスを理由に休戦したという記録ももっています。お墓が信貴山麓の王寺町達磨寺に、供養塔が三郷町にあります。残念ながら信貴山城は城址を残すのみとなっています。
最近は再評価もなされてきている久秀。いずれにせよ、下剋上を体現した風雲児であり、戦国という動乱だからこそ輝いた人物と言えそうです。
何か、久秀にちなんだサービスできませんかね?爆発とか。