啄木の歩いた札幌
更新 : 2020/5/11 14:32
東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る
誰もが一度は耳にしたことがある有名な歌の作者、明治の歌人・石川啄木と札幌の縁(ゆかり)についてご紹介します。
明治19年(1886年)、岩手県に生まれた啄木。
仕事と活躍の場を求めて北海道へ渡ったのは明治40年、21歳の頃でした。。
8月25日の函館大火で職場を失い、札幌の新聞社で働くため汽車に乗り込んだのが9月13日。将来への期待に胸を膨らませていたと同時に、未開の地に踏み込む覚悟も持っていたことでしょう。
「改札口から広場に出ると、私は一寸停って見たい様に思った。道幅の莫迦に広い停車場通りの、両側のアカシアの並木は、蕭条たる秋の雨に遠く遠く煙っている。其下を往来する人の歩みは皆静かだ。男も女もしめやかな恋を抱いて歩いてる様にみえる。」
と、初めて訪れた札幌の印象を小説「札幌」に書き残しています。
啄木が働いた北門新報社は北4条西2丁目、現在の東急デパートの北側にあったそうです。
下宿先は札幌駅北口側、現在のクレストビルが建っている北7条西4丁目。
クレストビル1階エントランスには啄木の胸像がひっそりと佇んでいます。
その後すぐに小樽の新聞社へ移った為、啄木が札幌で過ごした時間はたったの2週間。
「札幌は寔に美しき北の都なり。初めて見たる我が喜びは何にか例へむ。アカシヤの並木を騒がせ、ポプラの葉を裏返して吹く風の冷たさ。札幌は秋風の国なり、木立の市なり。おほらかに静かにして、人の香よりは、樹の香こそ勝りたれ。大なる田舎町なり、しめやかなる恋の多くありさうなる郷なり、詩人の住むべき都会なり」
札幌から去る前に北門新報社の「秋風記」に記事として残しました。
「一年なり、二年なり、何時かは行つて住んで見たい樣に思ふ」と前出の小説にも記してあり、啄木にとって札幌の滞在は、短い期間だったからこそ鮮やかに記憶されていたのかもしれません。
ビルが立ち並び多くの人と車が行き交う令和の札幌。もしも啄木が見たとしたら何を思うのでしょう・・・
啄木像や歌碑は大通公園、平岸林檎園、偕楽園公園などにもあります。
コロナウィルスが収束し日常が取り戻せるようになった際には、啄木が歩いた札幌の街を是非とも訪れてみてくださいね。