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  • “うき世をわたる 天橋立”詩人の謳う景色(5)

    更新 : 2008/12/19 13:15

    こんにちは、宮津ロイヤルホテル・雅良生です。

    「与謝の海の 内外の浜は
    うらさびて うき世をわたる 天橋立」
    天橋立百人一首(丹後歌人会 作)より、曾弥好忠。

    (与謝の海はうらさびている。
    そんな海のような世間で
    私はつらい思いをしております。)

    今回も天橋立百人一首からご紹介します。
    曾弥好忠は10世紀に中央から派遣されて
    丹後で地方官をしばらくつとめたところから、
    曾丹とよばれていました。
    天橋立百人一首に取られた歌には
    次の様なエピソードが伝えられています。

    曽丹最晩年のことですが、円融院が
    京都近郊で、閣僚やその家族の有力貴族を
    招いてのパーティーをしたことがありました。
    すると末席に、なんと招待もされていない曾丹が座り込み、
    ご馳走をしきりに食べているのが見つかりました。

    当然、曾丹は右大臣の指示で係りの者達に
    追い出されたのですが、曾丹は
    おとなしく引き下がらずに、大声でわめいて言いました。
    「お前らはなぜ笑うか。
    わしは恥じるような身ではないぞ!」

    その翌日、曾丹は天橋立百人一首にとられた歌に
    次のような詞書を添えて提出しました。

    「円融院の、御子(ネ)の日に、
    召しなくて、参りて、さいなまれて又の日、奉りける。」

    曾弥好忠には、他にも、出世が遅れて
    晩年を迎えた官僚の悲哀を歌った佳作があります。

    「類よりも ひとり離れて
    飛ぶ雁の 友におくるる わが身悲しな」。

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