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大丹波王国の興亡 その3 月の輪田
更新 : 2012/10/16 10:26
3世紀に邪馬台国が姿を消し、大和政権が登場する5世紀の間の4世紀を「空白の4世紀」と呼びます。この期間が邪馬台国の大移動がおこなわれた時期にあたります。邪馬台国の人たちは、岡山、」和歌山、奈良といった瀬戸内海と太平洋に面した地域にコロニーを建設していきます。ところが邪馬台国の中枢部はなぜかこれらの地域から離れた丹後に置かれました。その理由をひもとくヒントが丹波という国名の中に隠されています。丹波とは「田の庭」の意味で、古代の農業試験場のことをいいます。丹後には丘陵を利用した棚田が数多く見られますが、古代人はこの棚田を利用して、土地の高度、土質、水質が稲の生育に及ぼす影響を仔細に研究して、収穫のあがる作付け方法を見つけていったのです。写真はこうした研究の成果として、はじめて収穫された稲を神々に捧げた遺跡とされる峰山の五箇にある「月の輪田」です。古代の田は丸くかたちづくられたところからの名前であるとされています。なお月の輪田は丹後のほかに佐渡と信州に1箇所ずつ残されています。
雅良生