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続ガラシャ夫人の宮津 その4 細川マリア
更新 : 2013/2/24 0:31
写真は、一色氏の最後の丹後領主が、細川忠興によって謀殺された場所にある一色稲荷です。島田通信員がつかんだ情報によると、一色氏の遺児たちの命乞いをして二人を僧侶にして救ったのは、細川幽斎の妹で忠興の育ての親であるサチ(ガラシャにつきあって洗礼を受けた名前がマリア)だったようです。サチの素性についてははっきりしないのですが、あるいは幽斎と同様に足利将軍の義輝が身分の低い女に産ませた子供だったのかもしれません。幽斎は母親の実家が比較的裕福であったおかげで、幕臣の子として認知されやがて細川家の名跡を継いだのとは対照的にサチは足利将軍家の邸で薬剤師や看護師といった医療スタッフの仕事をしていた時衆に預けられました。彼女が一向一揆の指導者と恋をして結婚をしたというのもこうした数奇な出生がかかわっていたようです。織田軍団が蹂躙した福井から北京都にかけては一向宗の土地所有者のほとんどが殺されたおかげで一向宗の小作人たちが土地を持てるようになりました。サチの夫は新たな領主と密接に連絡をとりながら公平な土地分配をする委員会の議長的な役割を果たしていたようです。サチにとってガラシャはこうした話が理解できる得難い友人のひとりでした。 雅良生
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